先日の記事でさんざん試行錯誤し、「変な読み替え演出で歌いたくない」「オーセンティックなバロック・ジェスチャーつけて歌いたい」という本音が駄々洩れしていた「舞台表現演習」の試験ですが――
この記事
(なるべくいつも1記事だけで意味が分かるように書いているのですが、今回の内容はこの記事を読んでいないと分かりにくいかと思います)
上記の記事の後、教授の望み通り映画の登場人物を選び、授業で自分の考えた演技・演出を見てもらい、試験でも演じてきました。
- 結論からいえば教授のお気に召したようで試験は満点だった。
- でも、あんなに嫌がっていたのはなんだったんだってぐらい、ふたを開けてみたら自分の演出が一二を争うぐらい現代的だった。
というわけで、事の顛末を書いていこうと思います。
(トップ画像は演出の授業やリハーサルに使っている小ホールです)
まずはじめに言い訳
管理人の言い訳など聞きたくない忙しいあなたは、この項目は飛ばしてOK。
「原作通りのシチュエーションを選んではいけないのか?」とぼやいたり、「人生に無駄な試練はない」と自分を鼓舞しておきながら、結果がどうなったのかを書かないのでは、まるで打ち切りになった漫画連載みたいでどうかと思うので、ちゃんと書こうと思った次第です。
自分ではあまり、打ち明けたくない演出です。
なぜなら私自身は、バロック時代らしい演出を好んでおり、歌手たちが現代的な衣装で出てくるのもがっかりするし、その時代には存在しないはずの小道具なんぞ出てきた日にはうんざりするような客だからです。
でも学校の課題――しかも試験まである――となれば、考えざるを得ません。
そこで一生懸命頭をひねり心を絞った結果、出てきたものは自分だったら絶対に批判したくなるような演出だったわけです。
でもほかにネタ出てこないし締め切り間近だし、しょうがないから採用しました。
課題と授業の様子
先生が学生に課した課題は……
Ombra「影」のコンセプトと映像作品の選択
- Ombra「影」が示すものを映画や舞台などの作品にみつける
- その映画の登場人物として、Ombra mai fuを歌い演じる
- Ombra「影」が、その人物にとって何を表しているのかコンセプトを発表できるように
というものでした。
すべての学生の演出に共通する決まり事
演出にはいくつか決まりごとがあって、
- かみてから舞台に入る。
- 舞台上には観客に背を向けて椅子が1つ置いてあり、歌手はまずその椅子に腰かける。
- イントロの間に立ち上がり、歌う時は客席へ向き直る。
- 歌いながら舞台をしもてへ移動し、何か小道具を使う。
- クライマックスでは舞台の真ん中前方で歌う。
- 最後は椅子に戻り、観客に背を向けて座る。
という共通した動きを守ることになっています。
スクリーンに投影する映像の準備
さらに試験当日は、映画の映像を実際に流しながら、その前で歌うという企画でした。
試験前の授業では、各学生が映画から切り取った3分ぐらいの映像を持ち寄り、スクリーンに投影してリハーサルを行ったので、様々な映画のワンシーンが見られて楽しかったです。
ただし伴奏ピアニストは大変そうでした!
各学生が「歌のこの部分でこの映像になってほしい」という希望があるので、かなり厳密に曲の速度を守って弾かなければならないのです。
速すぎたら映像より先に曲が終わってしまうし、遅すぎると映像が先に消えてしまいます。
学生たちが持ってきたアイディアの例
非常に分かりやすい例では、ピンクパンサーがシャドウボクシングをする短編アニメーションを選んだ学生がいました。
影=シャドウ、まんまですね。
彼はとても優秀なカウンターテナーなので、ボクシングの動作をしながら、美しくOmbra mai fuを歌っていて感動しました。
と言いながら、私もほかの学生と一緒に笑いましたが。
《セルセ》はコミカルな部分もあるオペラなので、コメディを持ってきたのもありだと思います。
でもほかに笑いの要素を加えた学生はいなかったですね。
指輪物語、スノーホワイトなど、映像がファンタジックなもの、修道女に扮した学生(なんの映画だか分からず)など、声楽科の学生たちは古風なものを選んだ人が多かったです。
バロックの曲調からのイメージかも知れません。
ピンクパンサーを選んだカウンターテナーの学生は古楽科の子なので、彼にとってヘンデルはちっとも古くありません。
それで、ああいうコミカルなものを持ってくるという選択になったのかも・・・?
管理人自身が持って行ったアイディア
私もまったく古風なものを持って行っておらず――といっても歌詞を無視できなかったので、
- 「影」のコンセプトを選ぶ
- 既存の映画の主人公を選ぶ
という条件を満たしながら、オリジナルストーリーを組み立てました。
既存の登場人物を用いたストーリーなので、二次創作というのが正確かも知れません。
映像について
映像も映画のシーンを切り取るのではなく、静止画をつなげて動画を作成しました。
ほかの学生のリハーサルを見ているとき、歌い手が『ロード・オブ・ザ・リング』のフロド役の演技をしているのに、スクリーンにフロドが映っているのは変だと感じたからです。
それに映像に視線が奪われてしまい、歌っている彼女のほうに意識が向かいません。
スクリーンに映るのは飽くまで背景であって欲しいと思ったので、映画の映像も一部使いましたが、登場人物は映しませんでした。
選んだ映画と登場人物は……
私が選んだ映画は1998年のイギリス映画『ベルベット・ゴールドマイン』。
選んだ登場人物は架空のロックスター、ブライアン・スレイドです。
70年代のグラムロックシーンを描いた映画で、ブライアンのモデルは明らかにデヴィッド・ボウイです。
スターダムに疲弊したブライアンはステージ上で銃殺されるという芝居をうちます。
そして音楽シーンから去り、妻や恋人(男)とも疎遠になります。
その後一人、豪華な自宅の部屋で憂鬱から逃げるためにラリっているという架空のシーンを考えました。
「Ombra=影」のコンセプトは、スターダムに潜むモンスターってことにしましたよ。
主人公は、だんだんとふくれあがっていくモンスターに恐れおののき、狂言自殺をはかったと。
ちょっとこじつけくさかったけど、許されました。
以下、先生にメール送信した演出の日本語訳です。
ワインのボトルやグラス、服などが散乱している薄暗い空間
壁に故郷の写真――子供のころ曲作りをした公園の写真――がかけてある。
ブライアンは椅子に横たわって、ヘロインで酩酊している。
(イントロが始まる)
写真に語りかけるうち幻覚が見え始め、部屋の中が公園だと感じる。
木の根元にギターが立てかけてある。
それを手に取り、ストラップをかけて幻想の中で弾き歌う。
観客がいるライブの光景がフラッシュバックし、やがて満員の客席を前にライブをしている幻覚を見ながら歌う。
最高潮に盛り上がった時、撃たれる。
最初に座っていた椅子に倒れ込む。
outroの間に、自分が生きていることに気が付き、現実に引き戻される。
たくさんのものを失った今に気持ちが戻ってきて、絶望する。
ご想像通り、壁にかかっている故郷の公演の写真というのが、プラタナスの木の写真なわけです。
これで、プラタナスの写真をスクリーンに映して、プラタナスに向かってOmbra mai fuを歌うという理想が叶いました。
鋭い方はお気付きかと思いますが(いや、そんなオタクな方は読んでいないかも知れませんが)、1994年の映画『カストラート』からのインスピレーションで思いつきました。
映画の最初のシーンで、ロンドンの舞台を引退したファリネッリが、スペイン王宮の豪華な自室で、アヘンに浸っていたかと思います。
小道具、効果音、衣装など
主人公はほとんど幻覚の中で動いているのであまり小道具類は必要ありませんでしたが、注射器と銃声は欲しいね、と先生から言われました。
かなり反社会的な演出になってしまったので、このアイディアを先生に伝えるまではちょっと心配していたのですが、「いいね! おもしろいね!!」とノリノリでOKしてくれました。
演出の教授は「学校の先生」ではなく、演出家・表現者・アーティストという分類の人間なのだとよく分かりました。
注射器は、退職時に餞別にいただいたサンドピクチャーの空気調整用インジェクターを持って行きました。
サンドピクチャーってこういうのですよ――私はプレゼントされるまで存在を知りませんでした・・・
銃声はインターネットでみつけました。
でも、ピアノ伴奏、銃声、映像を合わせる難しさを考えて、伴奏は自分でチェンバロを弾いて録音し、映像と一緒に流すことにしました。
服装は普通にロックな感じ=普段着で。
普段むしろ、音楽院にスタッズの並んだパンツはいていけないし、と困っているぐらいなので。
みんなそれぞれ衣装も凝っていて、おもしろかったです!
実際、動いてみて……
2016年の12月にヴィチェンツァの音楽院でおこなわれたバロック・ジェスチャーのマスタークラスに参加したことがありまして、そのとき持って行った曲もOmbra mai fuでした。
3年前のノートを読み直して復習したので、バロック・ジェスチャーの動きを基本に組み立てました。
ロックパートに移ってからは、実は過去にロックバンドで歌っていたことがあるので、そのころやっていたような動きで歌いました。
どこの世界にバロック・ジェスチャーとロックスタイルを組み合わせるやつがいるんだよ、と自分でツッコミ入れつつ。
そうした経験が功を奏したのか、先生から「きみは日本でたくさんオペラの舞台を踏んでるんだね」と言われて驚きました。
イタリアに来てはじめて、それも合唱で乗ったぐらいで、オペラはおろか演技や舞台経験もなかったので。
果たして人前で、こんなことができるのだろうか?と危惧し、授業の前日は不安に駆られていたほどでした。
でも実際に動いてみたら、何か心の壁が壊れたようでした。
その後は声楽のレッスンでも、表現する心理状態に以前より簡単に入れるようになりました。
心と体はつながっているので、自分から心の扉をひらけない場合は、先に体を動かしてしまえば表現できる状態に持っていけるようです。
10代のころ声優養成学校に体験入学したことがあるのですが、そこでのレッスンはすべて身体を使って全身で演技するものでした。
実際の声優の仕事はマイクの前に立って声だけでおこなうものですが、表現力を身に着けるために、全身で演じることが大きな助けになるから、ああいうレッスンのカリキュラムだったんだなと思いました。
歌でも演技でも、直立不動のまま豊かな表現ができるというのは、自然に動いて演じることより難しいんですね。
おまけ
作った映像をYouTubeにこっそり置いてみました。
インターネットから拾った写真をつなぎ合わせて作っているので限定公開にしています。
こちらのリンクからYouTubeに飛べるはずです。
余談ですが……
無事試験が終わってから母にこの映像を見せ、演出内容をメールで話しました。
そしたら「ロックな動きでバロック歌うの見てみたかったなあ!」という返信が・・・
今まで声楽やチェンバロの試験やコンサートの話をしても一度も言われなかった「見てみたい、聴いてみたい」がここで発動するとは・・・!
ちょっとびっくりでした(笑)
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