ヘンデルのオペラ《セルセ》とOmbra mai fu(オンブラマイフ)

「ヘンデルのラルゴ(オンブラマイフ)」とオペラ《セルセ》 バロック声楽
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ヘンデルのラルゴ」もしくは「懐かしき木陰よ」の邦題で親しまれているオンブラマイフ(Ombra mai fu)は1738年にロンドンで初演されたヘンデルのオペラ《セルセ》の中の1曲です。

この記事では、アリオーゾ「オンブラマイフ」の歌詞や対訳、オペラ《セルセ》の登場人物やあらすじについて書いています。

(このページのトップ画像の木が、セルセがめでているプラタナスだそうです。
  写真ACからにゃんとびえっちゃんさんによる写真をダウンロードさせていただきました)

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”ヘンデルのラルゴ”(オンブラマイフ)について

オンブラマイフはアリアではなく「アリオーゾ」

Ombra mai fuは、第一幕、第1場――つまりオペラの最初のシーンで歌われるアリオーゾです。

アリオーゾとは本来「アリアのような」という意味の形容詞です。
「レチタティーヴォ・アリオーゾ」として、「アリアのようなレチタティーヴォ」という言葉で使われていたのが、アリオーゾ単体で独立した呼び名になりました。

普通のアリアとどう違うかを簡単に書くと、バロックオペラのアリアは通常A-B-A’形式のダ・カーポ・アリアですから、ダ・カーポしないんだなと思って下さい!
ダ・カーポ・アリアだと途中のB部分では並行調に移調したり、主題や曲調が変わったりしますが、それがなくAの部分だけなので、短くシンプルになります。

実は「ラルゴ」じゃなくて「ラルゲット」

「ヘンデルのラルゴ」で広まっていますが、実は原曲の速度表示はラルゲット」です。
アレグロに対するアレグレットのように、-ettoがつくことでもとの形容詞の意味を緩和します。
ラルゲットはラルゴほどはゆったりしていない、ということです。

歌詞と対訳

Ombra mai fu 
di vegetabile 
cara ed amabile 
soave più.

詩の意味を見ていきましょう。
対訳だけ読んでも、1つ1つの単語の意味が分からないと歌うときに表現しにくいですよね。

4行に分かち書きしましたが、この詩は1文です。
つまり動詞は1つだけ――「fu」=essereという動詞の遠過去形です。
essereは英語のbe動詞、遠過去という概念は英語にはないのですが過去形の一種です。

fuの前のmaiは「決して~ない」という意味の副詞、英語のneverみたいなものです。

最初のOmbraは「影」。
詩なので単語の順番が自由なのですが、2行目以下はすべて主語Ombraを説明している単語です。

  • di(の/英語のof) vegetabile(植物)→植物の
  • cara(優しい) ed(と/英語のand) amabile(愛すべき) →優しく愛すべき
  • soave(心地よく)
  • più(以上、より多く)

歌詞全体の意味としては、

これ以上に優しく心地よく愛すべき木陰は今までになかった

という対訳になるかと思います。

オンブラマイフはオペラの冒頭で歌われる

オーケストラによるシンフォニア(序曲)が終わるとすぐにセルセのレチタティーボ・アッコンパニャート(オーケストラ伴奏付きのレチタティーヴォ)が始まり、アリオーゾOmbra mai fuが歌われます。

真打であるプリモ・ウォーモが第一幕第1場から登場し歌うのは、バロックオペラとしては珍しいと思います。
バロック時代は、現代のように劇場のベルが鳴って序曲開始前に客席が静まり返っているというようなことはありませんでした。
むしろシンフォニアが開始のベル代わり、最初の登場人物のレチタティーヴォが始まるころにようやく客席のざわめきが静まってくるという様子だったそうです。

シンフォニアが終わってすぐに出ていくことに、スター気質な性格で知られるカッファレッリは抗議しなかったのかな!?
歌手に抗議されて受け入れるヘンデルではないけれども。

なおボノンチーニ版からすでに、冒頭から主役が出てくる台本になっています。
ニコロ・ミナートのオリジナル台本では、第一幕の前にプロローグがついています。

ボノンチーニやニコロ・ミナートについては「リブレット(台本)について」を参照して下さい。
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ヘンデルのオペラ《セルセ》について

1738年4月にロンドンのヘイマーケットにある「国王劇場」で初演されました。
この劇場は2回火災に遭いましたが再建され、現在は「ハー・マジェスティーズ劇場」と呼ばれています。
1986年以来、30年以上(!)の長きにわたってミュージカル『オペラ座の怪人』がロングラン上演中です。

登場人物と初演時の歌手

登場人物初演時の歌手と声種
セルセ
(ペルシャの王)
カッファレッリ
(本名:ガエターノ・マヨラーノ、
 ソプラノカストラート
 現代のメゾソプラノ音域)
アルサメーネ
(セルセの弟)
マリア・アントニア・マルケズィーニ
(ラ・ルッケズィーナと呼ばれた。
 ヘンデルの指示は「重いソプラノ」
 現代のコントラルト音域)
アマストゥレ
(他国の姫君、
セルセの婚約者)
アントニア・メリーギ
(コントラルト)
ロミルダ
(アルサメーネの恋人)

エリザベト・デュパルク
(フランス人ソプラノ歌手のため、
 ラ・フランチェズィーナと呼ばれた)

アタランタ
(ロミルダの妹。
アルサメーネに恋している)
マルゲリータ・キメンティ
(ラ・ドゥロギェリーナと呼ばれた
 ソプラノ)
アリオダーテ
(ロミルダ姉妹の父、
セルセ配下の将軍)
アントニオ・モンタニャーナ
(バス)
エルヴィーロ
(アルサメーネの従者)
アントニオ・ロッティーニ
(バス)

簡単なあらすじ

ペルシャ王セルセは、異国に婚約者がありながら、ロミルダを妻にと所望する。
しかしロミルダはセルセの弟アルサメーネと恋仲だった。
アルサメーネに片思い中のアタランタは、邪魔なロミルダをセルセとくっつけようと画策する。

一方、セルセの婚約者であるアマストゥレは、自国から旅の危険を避けるため男装してやってくるが、セルセがロミルダを求めているのを知り、怒り悲しむ。

アルサメーネとロミルダの仲を引き裂こうとしたアタランタの計略は失敗に終わり、恋人たちは愛を確かめあう。
しかしセルセは王の権力でロミルダとの結婚を進めるべく、彼女の父親であり配下の将軍であるアリオダーテに、娘が王族と結ばれることを告げる。
この話を早とちりしたアリオダーテは、セルセ王自身がロミルダと結婚するとは思わず、弟アルサメーネと式を挙げさせた。

遅れてやってきたセルセは怒り狂うが、そこへ小姓が手紙を持ってくる。
それはセルセがかえりみることのなかった婚約者アマストゥレからのものだった。

「私はあなたと結ばれるためここへ来ましたが、あなたの心は私を裏切ったことを知りました」

という手紙の内容はセルセの怒りの炎に油をそそぎ、弟アルサメーネに花嫁ロミルダを不義の罪で処刑させようとする。
アルサメーネは怒り、刃をセルセに向ける。
あわやというところへ、男装したままのアマストゥレが現れる。

「愛する心を裏切った者は死に値するのか?」
との問いにセルセが
「Sì(その通りだ)」
と答えると、
「それならば死ぬべきはあなたです」
とセルセに刃を向け、正体を明かす。
自らの婚約者への裏切りが明るみに出たセルセは恥じ入り剣を受け入れる決意を示すが、アマストゥレは、
「再び私を愛してくれるなら、あなたを許します」
と告げる。

セルセは婚約通りアマストゥレと結ばれることとなり、アルサメーネとロミルダも祝福される。

台本は古いがオペラの作りは新しい!

バロック時代のオペラなんだからどっちも古いのでは?という声が聞こえてきそうですが、当時の流行から見た話です。
セルセが初演された1700年代のオペラ界の慣習や流行から見ると、台本のスタイルはちょっと時代遅れ、でも音楽的には時代を先取りしていたといえます。

――ということを音楽院の授業で勉強しましたが、6年前に読んだ『ヘンデル オペラ・セリアの世界』(ウィントン・ディーン著)に詳しく書いてあったのを覚えています。

現在この本は手元にありませんが、音楽院の授業をもとに簡単にまとめてみました。

リブレット(台本)について

台本はニコロ・ミナート(1627?-1698)が、イタリアの作曲家フランチェスコ・カヴァッリ(1602-1676)の《セルセ》のために書いたものがもとになっています。
カヴァッリのオペラは1654~1655年、ヴェネツィアのサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ劇場で初演されました。
この劇場は1700年代後半に取り壊され、現在は残っていません。

カヴァッリのセルセから約40年後の1694年、ローマのトル・ディ・ノーナ劇場で、ジョヴァンニ・バッティスタ・ボノンチーニ(1670-1747)の《セルセ》が初演されました。
台本は、シルヴィオ・スタンピリア(1664-1725)がニコロ・ミナート版を改訂したものを使っています。

それからまた40年以上経って、シルヴィオ・スタンピリア改訂版をさらに改編した台本がヘンデルの《セルセ》です。

前2回のオペラはイタリアで上演されましたが今回はロンドン。
イタリア語にあまり堪能でない客席が、長いレチタティーヴォに飽きてしまわないよう、冗長なレチタティーヴォがカットされました。

この改訂をおこなったのが誰なのかは分からないそうです。
スタンピリアが再度改訂したという説もありますが、ヘンデルが《セルセ》の作曲に取り掛かった1737年、スタンピリアはすでに他界しているので、改訂詩人不明説のほうが正しそうです。

こうした経緯から、台本にはおよそ100年前のヴェネツィアの空気が流れています
それは1700年代の典型的なオペラ・セリアと比べると、コミカルな要素が多く含まれているものです。

1700年代の典型的なオペラ・セリアの台本とは

ヘンデルの《セルセ》が上演された1738年当時、オペラの台本作家として大変人気があったのが、ピエトロ・メタスタージオ(1698-1782)です。
様々な作曲家が彼の台本に曲をつけました。

オペラ・セリアという言葉は「シリアスなオペラ」という意味で、対義語は「オペラ・ブッファ」――笑いのあるオペラです。
ロッシーニの《セビリアの理髪師》をイメージしていただくと分かりやすいと思います。

メタスタージオの台本はいつもオペラ・セリアのためのものでした。
その特徴は、高貴で格調高く、整った形式を持っています。

  • 高貴――登場人物たちは古代の王や、伝説的な英雄たち。
    そのふるまいは忠誠や忠義を重んじ、徳の高い行いを理想とする。
    時にそれが恋する心と相反することがあり、それが葛藤となりドラマとして描かれる。
  • 格調高いというのはイタリア語の詩の形式や、言葉の選び方。
    市井の人々が話すような言葉というより、詩として完成された台本となっています。
  • 形式は、レチタティーヴォとA-B-A’形式のダ・カーポ・アリアの繰り返しを想定して書かれています。
    レチタティーヴォの間に物語が進み、アリアでは登場人物たちが感情を吐露します。

ヘンデルが用いた《セルセ》の台本は、こうした時流とは異なるものでした。

オペラ《セルセ》の音楽的・演劇的な特徴

このようにレチタティーヴォとアリアを繰り返す典型的なオペラの形式を「番号オペラ」と呼びます。
「番号オペラ」はワーグナーの楽劇によって完全に終結しましたが、モーツァルトもロッシーニも番号オペラの形式で作曲していますから、番号オペラの時代は長いんですよね。

でも1600年頃イタリアでオペラが誕生したとき、ヤコポ・ペーリやモンテヴェルディが作曲したオペラでは、レチとアリアは明確に分かれていなかったので、ワーグナーの「無限旋律」を原点回帰とみなすと面白いですね。

さて、ヘンデルの《セルセ》では、レチタティーヴォとアリアが分かれてはいますが、ダ・カーポ・アリアの形式を意図的に変えているものも多いです。
アリオーゾをはさんだり、レチタティーボ・アッコンパニャート(オーケストラ伴奏付きのレチタティーヴォ)をはさんだりと変化に富んでいます
第一幕の「Io le dirò che l’amo(彼女に愛していると言おう)」では、ひとつのアリアを前半はセルセ、後半はアルサメーネが歌うなど、随所に工夫があって楽しいです

こうした書法が、従来のバロックオペラに見られるレチタティーヴォで劇が進みアリアで停止するという繰り返しからの脱却となっています。
現代の我々の耳には演劇的な要素が強く、飽きさせない構成だと思います。

現代の――と書いたのは、初演当時《セルセ》は成功とは言い難かったのです。
たった5回しか上演されなかったとか。

流行から少し離れていたから不評だったというよりも、当時のロンドンではイタリア・オペラ自体の人気が下降していたのです。
ヘンデルは新しい要素を取り入れて対抗したのかも知れませんが、功を奏したとは言えなかったようです。


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作曲家ヘンデルについて

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルは1685年、ドイツのハレに生まれました。
音楽家の家系ではなかったので、父親は彼が法律を学ぶことを望んでいました。

しかし少年時代から音楽の才能を示し、教会でオルガン奏者を務めたり、作曲したオペラが人気を博したりしていました。

早くに父親を亡くしましたが、遺志を継いだのかヘンデルは大学で法律を学びます。

しかし音楽への情熱は冷めやらず、21歳のヘンデルはイタリアへ音楽修行の旅に出ます。
当時ヨーロッパの音楽の流行最先端だったイタリアの様式を4年間たっぷりと吸収したヘンデルは、その後ロンドンへ向かいます。

ロンドンではオペラ作曲家として数々の名作を書いています。
ドイツ人作曲家がイギリスで発表した作品ですが、台本はイタリア語、多くのイタリア人歌手が活躍しました。
しかし《セルセ》が上演されたころには、ロンドンでのイタリア・オペラの流行は下火になっていました。
イタリア・オペラを見限ったヘンデルは、活躍の場を英語のオラトリオ作品に移していきます。

1759年、74歳で息を引き取りました。
イギリスに帰化し、亡くなるまでロンドンに暮らしていました。

最後に

ヘンデルのオペラ《セルセ》には、Ombra mai fu以外にも魅力的なアリアがたくさんあります。

その一部を以下の記事で紹介していますので、興味のある方はぜひお読みください!

コメント

  1. ベルカント より:

    はじめまして!
    私は日本で声楽と発声を学び、レッスンやコンサートをしている、カウンターテナー 、テノール、バリトンです。
    モレスキのブログが秀逸過ぎて、お聞きしたい事が沢山あったのですが、アポを取る場所がなく、ヴェルヴェッティーノさんで検索をかけたらこちらのブログに辿り着けました〜

    こちらのブログも濃い内容ですね、音楽への愛がヒシヒシと伝わってきます。素晴らしいです。
    自分は発声が専門なので、現代語られるベルカント、というよりロッシーニが滅んでしまったと嘆いた古のベルカント唱法が知りたいと思い勉強してきました。
    学び、研究し、歌っていく中でモレスキの歌をドイツから取り寄せ聞いたところ、全ての答えがあった気がしたのです。
    そして、ネットで調べてヴェルヴェッティーノさんのブログに辿り着き、モレスキに関するブログの最初の所にも引用してあった様に、声区の転換が完璧だから感動したのではない。という部分に全てがあるのではないだろうかと思ったのです。
    モレスキのアヴェマリアを聞いて直ぐに思ったのは、頭声と胸声の使い分けがハッキリと分かるという衝撃でした。
    という事は、クイーンのフレディが躊躇なくファルセットを使う歌い方こそベルカントなのではないかと思ったのです。

    勿論、ヴェルディ以降、特にプッチーニで聞かれるテノールが使うミックスボイスは素晴らしい物ですが、ロベルト・アラーニャが話している様に、「僕達はミュータントなのさ、それ故に苦労する」というような話を聞くと納得してしまうのです。

    そして、ベッリーニやロッシーニのアリアにおいて求められていたのは、モレスキの様な、胸声や頭声の使い分けだった訳ですが、残念ながら様々な理由からその様な歌い方はされなくなってしまいました。

    そして、これらを踏まえてトーズィとマンチーニが残してくれた2冊の本から分かる事は、彼らが書いているのはミックスボイスではないという事です。
    まさにモレスキの様な歌い方が、彼らが望んだ歌い方なのではないかと。
    そして、ミックスボイスが習得出来ず、美声であっても歌手を諦める現状は幸せなのか考えているのです。

    あと、実感として女性のファンから、「先生はカウンターテナー が素敵で」と言われるのです。
    自分は本来テノールで頑張っていて、カウンターテナーはファンサービス的な感じで、そう言われる事が最初はあまり嬉しくありませんでした。
    でも、イギリスに留学したロッカーの弟子が、イギリスのライブでファルセットを使ったら、「君は音域が広い歌手だね」と言われたと言うのです。
    日本だと「あそこで裏声になっちゃったね」と言われるはずです。
    そして、イギリスには両声区を使って魅力的な歌を歌う歌手が沢山いることを知ったのです。
    これはやはり文化なんだと。
    教会などで、この世のものとは思えない、ボーイソプラノなどを聞いている国の人々は美しいファルセットを評価してくれるんだと思ったのです。

    それを聞いて、自分が学んだモーツァルトのテノールのアリアを全て見返してみたのです。
    すると、ディナーミクが高音でp、低音でfになっている箇所が多々あり、おそらく高音をファルセットでドルチェに歌い上げ、テノールはパトロンのご婦人をゲットしたに違いないと思ったのです(笑)

    古楽の専門家のヴェルヴェッティーノさんにとってはツッコミ所満載かもしれませんが、自分の今のところの結論はこんな感じです。

    ここまで来るのに、モレスキのブログは本当に参考になりました。ありがとうございました。

    願わくば、ヴェルヴェッティーノさんの先生がおっしゃる様に、クラシックの発声が最後は何も考えず感情だけで溢れ出る物になって行くと良いのですが。

    この頃は、結局古典音律に迄行きつき、バッハ・ヘンデル様、ベートーヴェン先生がどんな音律と調性で曲にどんな願いを込めたのかということも興味のある所です。

    古典音律の観点からも発声を見ると、ボーイソプラノの様な無垢な声には美しい倍音が沢山乗っている様に思います。
    昔の全寮制のカストラート達の休日は、やまびこの聞こえる谷で練習したと言いますから、現代オペラの様な作った声でなく、エコーのかかりやすい美しく鳴る声でやまびこを聞いていたことでしょう。

    あと、際限がなくて申し訳ありませんが、この前生まれて初めて本物のチェンバロを弾きながら、ラルゴを歌ってみました。12平均律だったのが残念でしたが、チェンバロのボリュームに納得しました。(先程読ませて頂いた、古典調律をする理由も不協和音が際立つというのもびっくりでした)
    むしろ、この楽器を前にしてナポリ民謡の様な声でアリアを歌ったら、当時の貴族は眉をひそめただろうと。
    敬愛するヘンデル様の映画で、スカルラッティとの弾き比べの場面がありますが、チェンバロはどれだけ激しくとも優雅です。日本の貴族も「まろは〜」とか言っていますが、そういうノリだったと思うのです。
    故にモレスキの様な、宗教的にも美しく厳かで、そして豊かさもある歌唱が好まれたのかなと思うのです。

    とは言うものの、昔の音楽は全て消えてしまう芸術。どこまで行っても真実は藪の中です。でも、ヘンデル様やベートーヴェン先生の真意を汲み取りたいと願う気持ちを持ち続ける事が彼らへの誠意だと僕は信じるのです。

    大変長くなり、申し訳ありません。
    平にご容赦を。
    そして、御縁があればこれからも何かあったらご相談させて下さい。
    というか、お聞きしたい事は沢山ありますが、まずはご挨拶という感じでした。
    それでは失礼致しますm(_ _)m

    • ヴェルヴェッティーノ ヴェルヴェッティーノ より:

      こんにちは。
      大変内容の濃いコメントをいただき感謝いたします!
      そして、アレッサンドロ・モレスキのサイトにしっかり目を通して下さったようで、とても嬉しいです!!

      実は私もはじめてモレスキの録音を聴いたとき――10年以上前、最初はyoutubeでしたが、声区の変わり目がはっきり聞き取れることが意外に感じました。
      ベルカントさんがフレディの名前を挙げていますが、なんかポップスのような感じがしてしまって。。。
      クラシックは声句の転換は聞き取れてはいけないという固定観念があったのですね。

      でも今イタリアの音楽院で古楽を学んでいると、「胸声と頭声を使い分けることを意図して作曲家が書いている旋律」と先生から説明されたりするので、それぞれの声区の音色が美しく魅力的なら、それでいいんだなあ・・・少なくとも古楽は、と思うようになりました。

      ベルカントものと言われているロッシーニやベッリーニも、テノールが頭声を使うことを意図して高音を書いたのでしょうから、それを胸声の音色で歌わなければならないとしたら、ロベルト・アラーニャの言葉通り、大変な苦労を強いられますね。
      ロッシーニはデュプレの発声に、ベルカントが失われてしまったと嘆いたのでしたっけ・・・。

      ポップスの世界では何十年も前からファルセットが魅力的に使われているのですから、最近はベルカントさんのお客様たちのように、クラシックを勉強したり聴いたりされる方の趣味も、追いついてきたのかもしれませんね(笑)

      お弟子さんがロックを学ぶためにロンドンに留学されているのですか!?
      いいですねえ!
      ヘンデルの時代から何百年も、ロンドンの人々は音楽の趣味がいいですよね~

      モーツァルトのテノールのアリアに関するディナーミクの分析、大変興味深いです。
      論文テーマになりそうですね!

      そうそう、チェンバロの音は本当に素敵ですよね!
      古楽科にいるとピアノ伴奏で歌うことがなくなるので、自然と朗々と大声で歌うことがなくなっていきます。
      しかもヴェネツィアの音楽院は天井が高くよく響くので・・・。
      チェンバロはまだしも、リュートやテオルボだとさらに音量が控えめで、歌う方もより丁寧に、こまやかな神経を使って音を聴き、表現するようになります。

      もちろんヴェリズモオペラにもその魅力があるのでしょうが、それぞれの時代の音楽の魅力をできる限り汲み取って演奏したいものですね!
      モレスキの生きた時代はヴェリズモ全盛期かも知れませんが、システィーナ礼拝堂聖歌隊では伝統を大切に、過去のものを受け継いでいこうとしていたのでしょうね。

      こちらこそ、大変興味深いコメントを書いていただき、ありがとうございました。
      ぜひまたこのブログにいらっしゃってくださいね。