【発声人生論】発声は”どう生きるか”に通ずる【歌こそ人生】

歌うこと
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(写真は、南イタリアの街ロコロトンドです)

気付いてみたら、声楽を習い始めて10年が経過していました。
日本で声楽を習い始めたのが2009年2月末、今年は声楽学習10周年だったのです。

そこで今回は、この10年間で学んだことの中から「発声」に焦点を当ててまとめてみようと思います。

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名付けて「発声人生論」

タイトルにすべて書いてしまったのですが、最近、声の出し方を変えることは日々の生活すべてを変えること――延(ひ)いては生き方そのものを見直すことだと気付きました。

きっかけはいつもの通り、音楽院のマエストラの言葉です。

「あなたはすべて正しいことをやっている。
 姿勢、息の吸い方、支え方、口のフォーム。
 私の教えた通りやっているのは分かる。
 でも、一番大切なことはそこじゃないの。
 あなたは自分の身体とコミュニケーションを取っていない
 自分の身体に対する感覚をもっとずっと研ぎ澄まさなければいけない」

このようなことは以前から言われていて「自分は運動神経が悪いから仕方ないな」ぐらいに捉えていたんだけど(ダメじゃん)、ふと、目的と手段を取り違えているのではないかと思ったのです。
目的は「美しい声で歌うこと」なのに、そのための方法論を厳守することが、いつの間にか目的のようにすり替わってしまっている、と。

発声の過程より、感覚に焦点を定めよう

これを言ったら発声全否定!?になりかねないのですが・・・

声楽を勉強して11年目にしてようやく到達した発声の極意は「発声について考えないこと」!?

発声の過程というのは、

  • 肩を落として、あごを引いて、正しい姿勢で立って・・・
  • まず鼻から息を吸って――
    いや、口からだと言う人もいる、ハーっと音を立てながら口から吸えなんて話もある。
  • おなかに息を入れます
    いや、腰に入れるという説も――背中だって話もある!
  • 口は縦にひらきましょう
    でも実は下にひらいたらいけないと言う、上あごだけを上げろと言う・・・えぇぇ人体の構造的にそれは無理なんじゃぁ??
  • 咽頭を上げてはいけません、
    あ、でも無理やり下げようとしてはダメですよ。
    (管理人は「咽頭の後ろに声を通して」という表現が好きです!)
  • 舌根の力を抜いて。
    ちなみに舌の中央がくぼむといいですね!
    (バターを付けるヘラを舌の上に乗せて練習すると感覚がつかみやすいよ!)
  • 上の歯と下の歯の間にスペースを・・・噛みしめてはいけません!

というようなもので、とにかく枚挙にいとまがない!

これを全部、最初の一声を出す前に考えるとしたら・・・

たとえばグルックのオルフェオのアリア、『Che farò senza Euridice?』を歌うとき、前奏の間にこんなことを考えていたら絶対に、
「エウリディーチェ亡き今、僕は一体どうしたらいいのだ」
と嘆き悲しんでいるオルフェオじゃないですよね。

とにかく私がこの10年間に学んできたことは、ここに書いたことの10倍はあります。

これらを「声を出すまでの過程」という意味で、発声の過程と呼んだのです。

そしてこの発声の過程よりも、体と心の感覚に焦点を合わせることの方が重要だったのです。
音楽院の先生がたびたび言う「sensazioneセンサツィオーネ」という言葉がまさに、どこに焦点を定めるべきかを教えていたのだと気付きました。


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結果にばかり意識を向けていると、発声が迷子になる

”声を出す前”の話はしました。
次は声を出したあとの話――正確には歌っているさいちゅうに考えていることです。

自分の耳に聴こえる声は、もう出てしまった結果なので、出した後でうまくいかないと判断してもすでに手遅れです。

反響の悪い会場で歌う時は、そもそも自分の声が聴こえないから、出てきた結果である声にばかり意識をとらわれていると、一度も成功しないまま曲が終わるという事態に・・・。

そうではなくて、先にイメージがあるのです。
音色はまず、思考の中で作られます
美しい声のイメージや、それを出しているときの身体の感覚をイメージすることで、それが自然に再現され、結果として美しい声が出るのです

これは人生にもあてはまるかも知れません。

すでに起こってしまった出来事から学ぶことは大切です。
でも人生に望むできごとを招き入れたいのなら、まず頭の中にそのイメージを作り上げなければなりません

大ヒットした映画作品も、毎日の生活を便利にしてくれるスマホやインターネットも、誰かの頭の中にイメージされたからこそ、現実になったのです。

欲しいものをイメージしたら、あとは受け取るだけでいい

せっかく理想のイメージを持っても、それを打ち消す思考を同時にしていたのでは、効果が半減してしまいます。
声を出す前に不安になると息が引っ込んでしまって、必ずと言っていいほど失敗します。

声を出す前の不安というのは例えば・・・

  • この音は高いから苦手だ
  • 音程を正しく取りにくい音型だ
  • エ母音で高いラを歌おうとすると緊張する
  • カ行の子音でいつも固くなる

などと恐れることです。

歌い手がするべきことは、あれこれ考えて不安になることではなく、美しい音色と正しい体の感覚をイメージすることです。
不安が先に立つと気持ちがリラックスできず、体も同時に固くなります
すると正しいイメージなどはどこかへ行ってしまって、声も固まってしまうのです。

人生においても、あれこれ考えて不安になることに利点はありません。
起きるかもしれない事態に備えて対策を打っておくことはできますが、やれることをすべてやったら、それ以上不安に思うことは有用ではありません。
無駄な不安はかえって行動を遮るだけです――歌う時に恐れが息を遮るように。

不安に焦点をあわせるのではなく、望む状況のイメージに焦点を当て、楽しいリラックスした気持ちでいることが、人生においても大切です

私たちが「不安になりすぎる」のは遺伝子のせい!?

我々が往々にして必要以上の不安に駆られるのは、”原始時代、用心深いがゆえに洞窟から出なかった人の子孫”だからだそうです。
不安を持たず、楽観的に洞窟から出て行った人々は、マンモスに喰われ子孫を残せなかったという話ですね。

でも現代にマンモスはいませんし、街で暮らしている以上、巨大な肉食獣に追われることなどありません。
命を取られるかもと注意するときと言ったら、道路を渡るときぐらいですよね(特にナポリでは命がけ!)。

まとめ――「今」を感じ、味わい、楽しむこと

管理人は20代前半の頃バンド活動をしていました。

今でも、あのバンドが続いていたら・・・と思うことがあり、どうしてうまく行かなかったんだろうと考えていることがあります。
ウォークマンに自分のバンドの曲を入れて持ってきているので、時々聞き返しては「いい曲だなー、このバンド天才じゃんか」と自画自賛しているからです(笑)

音楽院のバロック声楽レッスン中、マエストラから、

「私はあなたが本当に音楽を愛していることを知っているわ。
 それなのにどうして、もっとリラックスして歌うことを楽しまないの?

と言われていたとき、ふと、バンド活動時代のことを思い出したのです。
うまくいかなかった理由が、みつかった気がしました。

もっとリラックスして、あの時間を楽しめばよかったと。

お客さんを増やしたいとか、レコーディングしてCDを作ろうとか、ワンマンライブがしたいとか、目標ばかりを追っていました。
その結果、苦しくなりすぎて、自分でバンド活動を終えてしまったのです。
そういう自分の生き方そのものに問題があって、あのバンドは終わってしまったのではないかと思ったのです。

もっとリラックスして、生きている今の時間を楽しむこと――それが、発声と取っ組み合ってきたこの10年間に、私が歌から学んだことです。

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