ヘンデルのオペラ《セルセ》の中ではオンブラ・マイ・フ(Ombra mai fù)が飛びぬけて有名ですが、ほかにも魅力的なアリアやアリオーゾがたくさんあります。
各幕から1曲ずつ、タイトルロールであるセルセのアリアを紹介します。
もちろんほかの役のアリアも素敵な曲が目白押しです!
――と言いながらセルセのアリアだけ紹介するのは、管理人の音域によるレパートリーのためです……
なおオペラ《セルセ》のあらすじは、こちら「簡単なあらすじ」を、初演時の劇場や配役についてはこちら「登場人物と初演時の歌手と声種」をお読みください。
(今回の画像はイタリア南部の観光地マテーラの写真です。
乾燥した土地の雰囲気が《セルセ》の舞台であるペルシャっぽいかな~と思って選びました。
えっ、普通にイタリアにしか見えないって!?)
第一幕11場 “Più che penso alle fiamme del core”
4分の4拍子、ヘ長調、Andante。
「心の中で恋の炎がだんだんと燃え上がってくる……!」という歌詞の通り、弦楽器の前打音のような上行する32音符と、それに続く付点音符の旋律が、次第に大きくなる炎を表しているかのようです。
どんなシーンで歌われるの?
このアリアの直前は、セルセと彼の婚約者アマストゥレのレチタティーヴォ。
男装してお忍びでペルシャへやってきたアマストゥレがはじめて、婚約者の裏切りを知るシーンです。
アリアを歌うのはショックを受けたアマストゥレではなくセルセのほう。
アマストゥレのことなどお構いなしに、ロミルダへの高まる恋心を歌います。
アリアの歌詞と対訳
Più che penso alle fiamme del core,
più l’ardore crescendo sen va.
心の炎に思いを馳せるほど
さらに情熱は昂っていく。
E il mio petto è ricetto ben poco
di quel foco, che pena mi dà.
だが私の胸はほとんど無防備なのだ、
苦しみを与えるこの火に対して。
※ricettoは名詞では逃げ場、隠れ家。
もしくは動詞ricettare(かくまう、保護する)の過去分詞。
アリアの聴きどころ
アリアの冒頭では、同じ音型を繰り返しながら一音ずつ上がるメロディーラインが、高まる恋心を表現します。
このアリアでは1曲の中で2回も、通奏低音含めオーケストラが休みになり、ダ・カーポ時に歌手が自由にバリエーションを歌える部分が用意されています。
プリモ・ウォーモ役のために書かれたアリアらしくていいですね!
初演時《セルセ》はたったの5回しか上演されなかったそうですが、セルセ役を歌ったカッファレッリは毎回異なるバリエーションを披露したのでしょうか。
ダ・カーポ・アリアではA部分とB部分で異なる感情が歌われることが多いです。
このアリアでは、A部分で高まっていく愛の情熱(ardore)について歌い、B部分では愛の痛み(pena)について歌っています。
詩に合わせて曲調もA部分では長調、B部分では短調(並行調であるニ短調)となっています。
B部分はイ短調に移調して終わりますが、ナポリの6度が使われていますね。
ナポリの6度については、和声法について書いた記事内の項目「ナポリの6度の和音(L’accordo di sesta napoletana)」をお読みください。
第二幕4場 “Se bramate d’amar chi vi sdegna”
4分の4拍子、イ長調、Allegro。
アジリタがたくさん出てくるブラヴーラ・タイプのアリアです。
バロックオペラではおなじみの曲調ではありますが、「ma come non so=(この恋心を捨てたい)が、どうしたらいいか分からない」の部分で、詩に呼応してadagioになるところが音楽的に美しいだけでなく、演劇的にも魅力的です。
アリアの前はレチタティーヴォと短いデュエット
あらすじを読んでいただくと分かるようにこのオペラ、登場人物のほとんどがアタランタの計略に嵌まります。
アルサメーネがロミルダに充てて書いた愛の手紙はセルセの手に渡りますが、彼はそれをアタランタ宛だと信じています。
アリア「Se bramate d’amar」が歌われる第二幕4場のレチタティーヴォで、セルセはその手紙をロミルダに見せ、「このように心変わりをした男をまだ愛し続けるのか」と問います。
転調を繰り返すレチタティーヴォ
レチタティーヴォの冒頭は、「Ingannata Romilda(裏切られたロミルダよ)」というセリフで始まりますが、減七の和音が Ingannataな感じをよく表していて、直前のアタランタの軽やかなアリアから一気に雰囲気が変わります。
短いレチタティーヴォなのに転調を繰り返しますが、ロミルダの心を表すようにいつも短調に着地します。
長三和音はドミナント(属和音)としてしか使われない中、セルセが「Che farete?(どうするのだ?)」と訊くところだけトニック(主和音)としてのAメジャー。
期待を込めているのが伝わってきます。
でもつれないロミルダはロ短調のドミナントで「Piangendo ogn’or vivrò(泣き暮らします)」と答えます。
このレチタティーヴォが次々と転調していくのは、二人の気持ちのかみ合わなさを表しているのかも知れません。
18小節の短いデュエット
「L’amerete?(彼を愛するのか?)/L’amerò.(愛するでしょう)」の問答を繰り返す二人の会話は18小節のデュエットになっています。
このデュエットもレチタティーヴォ同様、和声的には短い転調を繰り返す作りになっていますが、旋律はちょっとカノン風。
追いかけてもするりと逃げていくロミルダの心を表しているかのようです。
第二幕のセルセとアマストレのデュエット「Gran pena è gelosia(嫉妬は大きな痛み)」や、第三幕のロミルダとアルサメーネのデュエット「Troppo oltraggi la mia fede(私の貞節をこれほど冒涜して)」と違って、二人が同時に歌う部分が無いのも、セルセの横恋慕が運命の望まぬ恋であることを示しているのかも……
セルセのアリア「Se bramate d’amar」は、このホ短調のデュエットの直後に(レチタティーヴォをはさまずに)歌われます。
アリアの歌詞と対訳
Se bramate d’amar, chi vi sdegna,
vuò sdegnarvi,
ma come non so.
もしあなたが愛することを望むなら―あなたを拒む者を―
私はあなたを嫌いになりたい。
でもどうすれば、そんなことができるのか……
La vostr’ira crudel me l’insegna,
tento farlo e quest’alma non può.
あなたの非情な嫌悪が、私にそれを思いしらせる。
試みてはいるが、この魂には不可能なのだ……
※動詞bramareは(現代のイタリア語では聞きませんが)「熱望する、切望する」の意。
このアリアの魅力
Allegroのアリアですが、随所に出てくるAdagioの部分が魅力です。
A部分
A部分では「ma come non so.」の歌詞で3回Adagioになり、それまで八分音符で刻んでいたバスや、16分音符が頻出するヴァイオリンパートも一気にトーンダウンし、曲に変化を与えています。
似ているようで、和声的には毎回少しずつ違うことをしているのもミソです。
1回目は偽終止したあとで、ダブルドミナントをはさんでカデンツとなります。
このアリアはイ長調ですが、歌が入って8小節目にはすでにホ長調に移調していますので、このカデンツはEに着地します。
2回目は、管理人はこれが一番好きなのですが(この部分はイ長調に戻っている)、同主調のイ短調に移調してナポリの6度を使います。
3回目は、1回目と似たパターンでダブルドミナントをはさんだカデンツでA部分の歌が終わります。
1回目と3回目が似ているのは、A部分の中に小さなa-b-a’がある構成だからですね。
A部分では、sdegnare(軽蔑する、退ける)の語にアジリタが与えられています。
1回目の「chi vi sdegna(あなたを愛していない者)」のほうではなく、2回目の「vuò sdegnarvi(現代語だとvoglio sdegnarLa=あなたを嫌いたい)」のほうです。
アジリタは登場人物の心が動く重要な言葉に付けられます。
このアリアでは、セルセが「vuò sdegnarvi」を歌うとき、ヴァイオリンが次々と16分音符で音階を駆け下りてくるのが、印象的です。
B部分
B部分は前半と後半で雰囲気が大きく変わります。
それまで八分音符で刻んでいたオケが、「quest’alma non può.(この魂にはできない)」の部分ではレチタティーヴォ・アッコンパニャートのように変わります。
半音で降りてゆくバスが哀愁を誘い、歌詞と相まって一気に内省的な曲調になり、美しいです。
第三幕11場 “Crude furie degl’orridi abissi”
8分の6拍子、ト長調、Allegro。
オペラのクライマックスに歌われる怒りのアリアです。
ここではヴァイオリンの32音符のフレーズが次々と下降を描き、第一幕のアリアで燃え上がった恋心が、詩にあるように「abissi」=奈落の底へ突き落とされ、たたきつけられるかのようです。
このアリアが歌われるシーンは……
最後のシーン(Scena Ultima=最終場)の1つ前のScenaで歌われる、まさにクライマックスのアリアです。
アリアの前のレチタティーヴォは、ロミルダの父アリオダーテとセルセの会話。
誤解と勘違いの結果、セルセが妻にと望んだロミルダはアルサメーネと婚礼の儀を執り行う。
怒るセルセに、彼の本来の婚約者アマストゥレからの手紙が届けられる――内容はセルセの不実をなじり、自らの運命を嘆くものでした。
ここで歌われるアリアが「Crude furie degl’orridi abissi」です。
アリアの歌詞と対訳
Crude furie degl’orridi abissi,
aspergetemi d’atro veleno!
恐るべき冥府の荒々しいフリアイ(復讐の女神)たちよ、
私に暗黒の毒を振り撒け!
Crolli il mondo, e ‘l sole s’eclissi
a quest’ira, che spira il mio seno!
天地は崩壊せよ、陽は闇に還れ、
この胸に宿る我が怒りによって!
単語
かなり見慣れない単語が多かったです。
辞書で調べたらかなり中二病?感満載だったので、それっぽく訳してみました。
- furie=フリアイ(ローマ神話)、エリーニュス(ギリシャ神話)。復讐の女神たち。
- aspergere=そそぐ、ふりかける
- atro=黒い、暗い、暗黒の
- crollare=崩れる、崩壊する
- eclissarsi=日食になる、なくなる、消える
音楽的な話
和声的にはシンプルな曲です。
また歌詞からも分かる通り、A部分とB部分で大きなコントラスがある曲ではないので、以下のような声楽のテクニックを聴かせる曲かも知れません。
声楽的には、上で紹介した2曲より大きなコロラトゥーラ・パートが出てきます。
16分音符のパッセージが3小節に渡って続き、見せ場になっています。
3小節に渡って音を伸ばす箇所もあるので、メッサ・ディ・ヴォーチェの聴かせどころになるでしょう。
オーケストラのアレンジでは、B部分のバスとヴァイオリンのオクターブのフレーズが印象的です。
でもこの1度、3度、5度、8度というフレーズ、楽譜を見なおすとイントロから登場していることが分かります。
ちょっとした工夫で楽しいですね。
台本の観点から演劇的な話
オペラを通して観たり聴いたりすると、音楽的な充実感や歌手の演技、演出などのおかげで疑問もなくするりと見られますが、冷静に台本を読んでいると、このシーンでなぜセルセが怒りを爆発させるのか、やや解せない感覚が残ります。
愚王っぽさが際立つというか……(あまり賢い王様として描かれていないので構わないのかも知れませんが)。
以前の記事に書いたように、このオペラの台本のもとになっているのは、1600年代中ごろのカヴァッリの同名のオペラのためにニコロ・ミナートが執筆した台本です。
以下の記事の「リブレット(台本)について」に詳しく書いています。
こちらの台本を読むと、このシーンでセルセが歌うのは「Lasciatemi morir, stelle spietate (死なせてくれ、無情な星々よ)」という悲しみと絶望のアリアです。
物語としては、こちらのほうがしっくりきます。
この変更は、クライマックス前にプリモ・ウォーモ役に見せ場を持ってきて、音楽的に盛り上げるためだと思います。
ただ、カヴァッリとヘンデルの間にはボノンチーニ版があるので、ボノンチーニ版ではすでに変更されているかも知れませんね。
ヘンデルはイタリア語に堪能ではないロンドンの聴衆を飽きさせないために、いつもレチタティーヴォをできるだけ短くしていたといいます。
そのため、ニコロ・ミナートのオリジナル台本を読むと、ずっと人物の感情に共感しやすく、行動が自然に思えます。
また別の機会に、オリジナルのニコロ・ミナート台本と、ヘンデル版の台本を比較する記事を書いてみたいと思います。
試聴用に紹介したCDについて
上で紹介した録音は、ウィリアム・クリスティ指揮 、古楽オケはレザール・フロリサン、セルセを歌っているのはアンネ・ゾフィー・フォン・オッターです。
管理人はポーラ・ラスマッセンの歌ったセルセを気に入っているのですが、映像で観たから思い入れが強いだけかも知れません。
ラスマッセンの容姿だけでなく、衣装や演出の美しい舞台だったのです。
こちらはクリストフ・ルセの指揮、古楽オケは彼が率いるレ・タラン・リリクです。
30秒間の試聴にはiTunesを使っています。
YouTubeから紹介していないのは、CDからUPされたものは著作権の問題でよく削除されるからです……
なので演奏家自身がUPしているもの以外はブログでは紹介しないようにしています。
今回もお読みいただき、ありがとうございました!
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