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【ヘンデルのオペラ】過去作品から受けた影響 ~《セルセ》を例に~

ヘンデルのオペラが過去作品から受けた影響 オペラ《セルセ》
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前回の記事ではダ・カーポ・アリアについて、前々回はバロックオペラのレチタティーヴォについて書きました。これらの記事でふれたように、1700年代の後期バロックオペラは一般的にダ・カーポ・アリアとレチタティーヴォ・セッコが繰り返される番号オペラです。これはヘンデルのオペラにも当てはまります。

でもヘンデルの《セルセ》はアリアとレチタティーヴォが単調に繰り返される形式とはちょっと違うよね?

構成にも44年前のボノンチーニの作品の影響を受けているのが理由だよ。第一幕のアリア比較記事で示したようにアリアが似てるだけじゃないのだ。

今回も前回の記事(ダ・カーポ・アリアとは? バロックオペラの比較から歴史的に考察)と同様、オペラ《セルセ》から第二幕のシーンを取り上げて比較します。

この記事では

ヘンデルのオペラにおける過去作品の影響を明らかにするべく、特にヘンデルとボノンチーニを比較し類似点に注目しています。

 ヘンデルのオペラ《セルセ》はCD・DVDがたくさん発売されています。初めて聴く方は日本語字幕付き映像で観るとストーリーが分かりやすいので、クリストフ・ルセ指揮のDVDがおすすめ。

 過去にこのDVDの感想記事「ヘンデル《セルセ》のDVD Book」を書いています。

ヘンデルが用いたオペラ《セルセ》の台本

ヘンデルが用いた台本はボノンチーニ版のレチタティーヴォを一部カットしたもの。そのため構成はよく似ています。オペラ《セルセ》の成り立ちに関する歴史的ないきさつは、カヴァッリ,ボノンチーニ,ヘンデルの《セルセ》から紐解くバロックオペラの歴史に書いているので詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。

今回比較するシーン 

 

ボノンチーニ作曲の《セルセ》(1694年初演)の第二幕4場
  レチタティーヴォ Ecco Romilda. (セルセとロミルダ…カヴァッリ版の該当シーンからエウメーネが削除された)
  デュエット L’amerete? / L’amerò.(セルセとロミルダ)
  アリア Se bramate d’amar (セルセ)
  レチタティーヴォ L’amerò? Non fia vero.(ロミルダ)
  アリア E’ gelosia (ロミルダ)

ヘンデル作曲の《セルセ》(1738年初演)の第二幕4&5場
4場
  レチタティーヴォ Ingannata Romilda!(セルセとロミルダ)
  デュエット L’amerete? / L’amerò.(セルセとロミルダ)
  アリア Se bramate d’amar (セルセ)
5場
  レチタティーヴォ・アッコンパニャート L’amerò? Non fia vero.(ロミルダ)
  アリア E’ gelosia (ロミルダ)
 
ヘンデルはボノンチーニ版の4場を2つの場に分けています。

オペラ《セルセ》のあらすじはボノンチーニもヘンデルもほとんど同じです。あらすじは「ヘンデルのオペラ《セルセ》のあらすじと解説」に書いています!

ヘンデルがボノンチーニのオペラから受けた影響

ここでは3つの類似点に言及します。

3つのデュエットの書式

ボノンチーニ《セルセ》第二幕4場デュエット L’amerete? / L’amerò.(セルセとロミルダ)

ボノンチーニ《セルセ》第二幕4場デュエット L’amerete? / L’amerò.(セルセ、ロミルダ)

1つめの類似点はデュエットの書式です。セルセとロミルダの対話「L’amarete? / L’amero.(「愛するのか?」「愛しますわ」)」 は、カヴァッリ版ではレチタティーヴォでした。ほとんど同じテキストのまま、ボノンチーニはこの部分をデュエットとして作曲し、ヘンデルもこのアイディアを引き継いでいます。

上記ボノンチーニ版の手稿譜は、「Xer:」がセルセ、「Rom:」がロミルダ。どちらもソプラノ記号で記譜されています(ト音記号の3度上)。
ヘンデル《セルセ》第二幕4場デュエット L’amerete? / L’amerò.(セルセ、ロミルダ)

ヘンデル《セルセ》第二幕4場デュエット L’amerete? / L’amerò.(セルセ、ロミルダ)

 こちらがヘンデル版。現代譜なので読みやすいですね。ロミルダが上段に記譜されています。ボノンチーニ版と同じホ短調、3/4拍子。

歌い始めの「L’amarete?」のメロディーが完全に一致している!

ボノンチーニのデュエットも、それに影響を受けたヘンデル版も、決して一緒に歌わず常にすれ違う書式となっています。

セルセの横恋慕が運命の望まぬ恋であることを、音楽で示しているかのようだにゃ……

果たして本当に、セルセとロミルダの関係をあらわすために「すれ違いのデュエット」として作曲されたのか検証するために、作中のほかのデュエットを調べてみたところ、ほかの2つのデュエットでは二人の登場人物が一緒に歌う箇所がありました。さらにボノンチーニの書法はすべてのデュエットにおいてヘンデルに影響を与えていることが分かりました。

第二幕12場のセルセとアマストレのデュエット

ボノンチーニ《セルセ》第二幕12場デュエット Gran pena è gelosia (セルセ、アマストレ)の手稿譜

ボノンチーニ《セルセ》第二幕12場デュエット Gran pena è gelosia (セルセ、アマストレ)終わりの部分

まずは第二幕12場のセルセとアマストレのデュエット「Gran pena è gelosia(嫉妬は大きな苦しみ)」です。このシーンでセルセはロミルダへの想いを、アマストレはセルセへの恋心を歌っています。すれ違っているように見える二人ですが、嫉妬心に苦められるという点では奇しくも一致している――それを示すかのように、ボノンチーニ版のデュエットの最後には6度音程で一緒に歌う部分があります。

上のボノンチーニ版の手稿譜(写譜家によるもの)は、デュエットの終わりの部分です。最後の3小節だけセルセとアマストレは「è gelosia」の歌詞を繰り返しながら6度でハモります。

ヘンデル版

ヘンデル《セルセ》第二幕12場デュエット Gran pena è gelosia (セルセ、アマストレ)終わりの部分の楽譜

ヘンデル《セルセ》第二幕12場デュエット Gran pena è gelosia (セルセ、アマストレ)終わりの部分

ヘンデル版はオーケストラパートが豊かになっていますが、「最後だけ一緒に歌う」というアイディアは踏襲されていました。

第三幕のロミルダとアルサメーネのデュエット

ボノンチーニ《セルセ》第三幕デュエット第三幕デュエット Troppo oltraggi la mia fede (ロミルダ、アルサメーネ)

ボノンチーニ《セルセ》第三幕デュエット第三幕デュエット Troppo oltraggi la mia fede (ロミルダ、アルサメーネ)

もうひとつのデュエットは第三幕のロミルダとアルサメーネのデュエット「Troppo oltraggi la mia fede (私の真心を踏みにじって)」です。本来は愛し合う二人ですが、誤解のためにお互い自分が裏切られたと相手をなじっています。二人の旋律は言い合う様子を表すように対位法的にからみあい、時々同じ歌詞を一緒に歌う書式。ヘンデル版も同様なので、このデュエットでもまたボノンチーニの影響がうかがえます。

セルセのアリア Se bramate d’amar

 ボノンチーニ版のセルセのアリア「Se bramate d’amar」の録音です。音楽に合わせて楽譜が表示されます。

このアリアはカヴァッリが作曲したオリジナルの台本にはありません。「ダ・カーポ・アリアとは? バロックオペラの比較から歴史的に考察」に書いたように、ボノンチーニのためにスタンピーリャという台本作家が追加したものです。

テキストはヘンデル版と同じです。

Se bramate d’amarの歌詞と対訳

Se bramate d’amar,
chi vi sdegna,
vuò sdegnarvi,
ma come non so.

La vostr’ira crudel me l’insegna,
tento farlo e quest’alma non può.

もしあなたが愛したいのなら
―あなたを拒む者を―
私はあなたを遠ざけたい
でもどうすればできるのか

あなたの非情な怒りが私に思いしらせる
それでもこの魂はあなたを嫌えない

後期バロックオペラのアリアに典型的な手法

1700年代のアレグロのアリアはしばしば、A部分・B部分の終わりでアダージョになります。曲のテンポを一部落とすことで装飾の追加が容易になるので、作曲家があらかじめ用意したアダージョ部分で、歌手たちは各々工夫をこらしたカデンツァを披露しました。

ボノンチーニのオペラは1600年代末初演ですが、すでにこの手法が見られます。そしてもちろんヘンデル版にも。A部分終わりのCome non so(どうすればいいのか)と、B部分終わりのE quest’alma non può(この魂にはできない)の箇所にアダージョの指示があります。

ダ・カーポ・アリアについて」で書いたように、A部分とB部分が感情的に対比され、調やテンポにコントラストがある作りが一般的ですが、このアリアはA部分・B部分それぞれの中に変化があり魅力的です。歌詞前半の怒りの感情から、恋い焦がれる思いへの心情の変化を反映して曲が自然にアダージョになったように聴かせます。

ロミルダのレチタティーヴォからアリアへのつなぎ方

ボノンチーニのオペラ《セルセ》第二幕4場、ロミルダのレチタティーヴォは「La mia crudel, chi sia? (私の残酷さは何なのか)」という問いかけで終わり、アリア冒頭「E’ gelosia (それは嫉妬)」が答えとなっています。レチタティーヴォは緊張を保ったまま属和音で終わり、アリアの冒頭で主和音に解決します。このアリアには器楽の前奏がなく、「E’ gelosia (嫉妬だわ)」という歌のフレーズからはじまるので効果抜群です。

ボノンチーニ《セルセ》第二幕4場レチタティーヴォ L'amerò? Non fia vero.(ロミルダ)の手稿譜

ボノンチーニ《セルセ》第二幕4場レチタティーヴォ L’amerò? Non fia vero.(ロミルダ)

テキストの問いかけと解決の関係を、属和音から主和音への和声的解決で表現した工夫は、ヘンデル版でも踏襲されています。D→Gmとコード進行が丸々同じだけでなく、ロミルダのアリア「E’ gelosia」の調、拍子、速度表示(アンダンテ)も一致しています。和声が分かりやすいので、ピアノリダクション版の楽譜を載せます 

ヘンデル《セルセ》第二幕5場アリア E′gelosia (ロミルダ)の楽譜

ヘンデル《セルセ》第二幕5場アリア E′gelosia (ロミルダ)

調、拍子、速度表示が同じでも、アリアの雰囲気自体はかなり違うのが興味深いところです。

ヘンデルのオペラの影響を考察してみて

レチタティーヴォとアリアが交互に続く後期バロックオペラの形式に耳が慣れていると、ヘンデルの《セルセ》第二幕4場で、デュエットのあとレチタティーヴォをはさまずセルセのアリアが始まるのは、意外に感じます。ボノンチーニ版との比較研究をするまでは、ヘンデルの際立ったアイディアかと思っていました。

緊張感を途切れさせず、劇に聴き手を引き込む形式でさすがヘンデル!

 ヘンデルすごい!と思っていたのですが、44年前の形式が自由だったころのボノンチーニのオペラからの影響だったと知りました。

次回は、過去作品からの影響を受けながら、ヘンデルが加えた独自性に注目します。ヘンデルは音楽史の中で孤立した天才ではなく、前の時代の音楽を学び受け継ぎ、さらに発展させていることが分かりますよ。

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