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セルセのアリアPiù che penso alle fiamme ヘンデルとボノンチーニの比較

セルセのアリア「Più che penso alle fiamme del core」ヘンデル版とボノンチーニ版の比較オペラ《セルセ》
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「ヘンデルのラルゴ」として有名なオンブラ・マイ・フ(Ombra mai fù)。でも実はこの曲、44年前に作曲されたボノンチーニの同名のアリアと似ていることを知っている人も多いと思います。

MEMO

オンブラ・マイ・フの実際の速度指示はラルゴではなくラルゲット、この曲はアリアではなくアリオーゾ。詳しくは「オンブラ・マイ・フの歌詞と解説」をどうぞ!

バロック時代には、1つのオペラ台本に複数の作曲家が曲を付けることが普通でしたし、過去の作品を参考にすることもよくありました。
オンブラ・マイ・フ(Ombra mai fù)が歌われるオペラ《セルセ》のオリジナル台本は、ヘンデルの時代から90年近くさかのぼった1600年代なかばのヴェネツィアで、カヴァッリという作曲家のために書かれたものです。

ヘンデルは「オンブラ・マイ・フ」以外のアリアについても、ボノンチーニの曲を参考に作曲したのかな?

その通り。実はボノンチーニ版のアリアと似た曲がいくつも存在するんだ。

今回の記事では第一幕のセルセのアリア Più che penso alle fiamme del core を取り上げて、ヘンデル版とボノンチーニ版を比較してみます。

オペラ《セルセ》の歴史について知りたい方はあらすじと解説を書いた過去記事をご覧ください。

セルセのアリア Più che penso alle fiamme del core

第一幕でセルセは、すでに他国の姫アマストレと婚約しているにも関わらず、ロミルダを見初め我が妻にと所望します。詳しくは過去記事「ヘンデルの《セルセ》には魅力的なアリアがたくさん」をご覧ください。

アリア「Più che penso alle fiamme del core(心の炎に思いを馳せるほど)」は、セルセがロミルダへの燃え上がる恋心を歌うもの。ボノンチーニのオペラでは第一幕14場に、ヘンデル版では11場で歌われます。

ヘンデル版のアリアの歌詞と対訳

Più che penso alle fiamme del core,
più l’ardore crescendo sen va.

心の炎に思いを馳せるほど
さらに情熱は昂っていく。

E il mio petto è ricetto ben poco
di quel foco, che pena mi dà.

だが私の胸はほとんど無防備なのだ、
苦しみを与えるこの火に対して。

ボノンチーニ版の歌詞

ヘンデル版の歌詞とほとんど同じですが、B部分の「di quel foco」が「à quel foco」となっています。diは英語のofにあたる前置詞、a(現代イタリア語ではアクセント記号をつけない)はtoに相当する前置詞ですが、大意は変わりません。

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ヘンデル版とボノンチーニ版の類似点

2つのアリアの歌詞はほとんど同じですが、ここでは音楽的な共通点を見ていきましょう。

テーマの音型

1音ずつ上行して繰り返されるテーマが、次第に盛り上がっていく情熱を描くというアイディアが共通しています。

まずこちらがボノンチーニ版のアリアの冒頭部分 

ボノンチーニの《セルセ》第一幕のアリア「Più che penso alle fiamme」冒頭部分

譜例1、ボノンチーニの《セルセ》第一幕のアリア「Più che penso alle fiamme」冒頭部分

歌のパートはバスパートのすぐ上、ソプラノ記号で書いてあります。ト音記号のミの位置がドです。

ヘンデルのアリアは…… 

ヘンデルの《セルセ》第一幕のアリア「Più che penso alle fiamme」冒頭部分

譜例2、ヘンデルの《セルセ》第一幕のアリア「Più che penso alle fiamme」冒頭部分

こちらは現代の印刷譜なので、歌のパートがト音記号で記譜されています。

どちらのアリアも、短いテーマが上行していく反復進行の旋律になっていますね。

マドリガリズム ~音画的な書法~

テキストを音で描写する作曲法を「音画的(おんかくてき)と言います。こうした手法は後期ルネサンス時代のマドリガーレによく使われたため、マドリガリズムとも呼ばれます。

バロックオペラのアリアでもマドリガリズムはよく使われます。
ボノンチーニ、ヘンデル共に「più l’ardore crescendo sen va」のvaを複数小節に渡って書くことで、[andarsene]の次第に遠ざかっていくイメージを音によって絵画的に表現しています。

MEMO

「più l’ardore crescendo sen va」は直訳すると「より大きくなる情熱が出ていく」。「sen va (=se ne va)」は[andarsene(出ていく、遠ざかる)]の活用した形です。

ボノンチーニのスコア 

ボノンチーニ「Più che penso alle fiamme」

譜例3、ボノンチーニの「Più che penso alle fiamme」、部分

ヘンデルのスコア 

ヘンデルの「Più che penso alle fiamme」

譜例4、ヘンデルの「Più che penso alle fiamme」、部分

B部分の反復進行

B部分でもボノンチーニとヘンデルの作曲手法には共通点があります。

どちらのアリアでも、Bパートの「E il mio petto è ricetto ben poco di quel foco(次第に燃え盛る恋の炎は私の胸に収まらない)」のquel foco(その炎)」という単語が反復進行の中で繰り返されることで、どんどん大きくなる恋の炎を音画的にあらわしています。

MEMO

ボノンチーニのB部分はA部分の関係長調であるニ長調から始まるが、pena(痛み)という言葉を表すために突然ニ短調に転調する。長調に戻ることなくナポリの短音階(2度が半音下がる)のフレーズで終わる。歌詞の前半(E il mio petto è ricetto ben poco di quel foco)と後半(che pena mi dà=それは痛みをもたらす)の色合いに変化をもたせた印象的作りになっている。

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ヘンデル版とボノンチーニ版の相違点

ここからは違いを見ていきましょう。

調と拍子の違いがもたらす印象の差異

ボノンチーニのアリアはロ短調3/8拍子に対して、ヘンデルのアリアはヘ長調4/4拍子調性と拍子の違いから、セルセのキャラクターの印象が変わったように感じます

ボノンチーニのアリアは情緒的な印象を与える短調で、古風で上品な舞曲を想起させる3拍子なので、恋に悩む高貴な若者を想起させます。一方ヘンデルのアリアは快活な印象のあるヘ長調で、世俗的な4拍子なので、自信に満ちたパワフルで楽天的な人物という印象です。

オーケストラ書法の複雑さ

ボノンチーニのアリアはヘンデルに比べてシンプル。譜例1譜例2の前奏を比べると明らかですが、ボノンチーニは通奏低音のみ、一方ヘンデルは特徴的なストリングス・パートを書いています。フーガのストレッタのようにバスがテーマを歌い終わらないうちにストリングスを重ねることで、対位法的に複雑さを増しているだけでなく、聴き手に燃え上がる恋の炎をイメージさせます

MEMO

ヘンデルは多くのアリアに魅力的な前奏を書いている。ボックス席でおしゃべりに興じていた貴族たちも思わずカーテンをあけたかも……

アリアの音域の広さが異なる

ボノンチーニのアリアで使われる最低音はMi、最高音はSolで、オクターブ+3度の音域です。対してヘンデルのほうは、最低音Do~最高音Laと1オクターブ+6度の音域が要求されます。
たった3度の差とはいえ、歌ってみるとヘンデルのアリアはより高いテクニックが要求されエキサイティングです。

歌の旋律における跳躍フレーズ

ボノンチーニのアリアは順次進行するフレーズが多く見られますが、ヘンデルの曲はオクターブや7度の跳躍など広い音域を動きます
音域の広さと合わせて、難易度が高くなっていますね。

ヘンデルのアリアには歌手の見せ場が多い

ヘンデルのアリアには長いメリスマを歌う部分など、歌手の見せ場が追加されています

類似点で言及した「più l’ardore crescendo sen va」のフレーズでは、ボノンチーニ版では歌手がメッサ・ディ・ヴォーチェをしている間にストリングスがテーマの旋律を奏でます(譜例3参照)。
一方ヘンデル版では歌手のためにメリスマの旋律が書かれ、楽器はシンプルに和音を奏でるか、もしくは休んでおり、歌手が自由に声のテクニックを披露できる好機となっています(譜例4参照)。

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アリア比較から分かること

類似点から分かること

この記事で比較したボノンチーニとヘンデルのアリアには、かなり共通点がありました。これらはバロック時代のアリア書法の特徴でもあります。
とはいえ、同じテキストに付曲された同時代の音楽だから似ているという以上の類似点が存在することも事実。このことから、ヘンデルは作曲する際ボノンチーニのアリアを参考にしたことがうかがえます。

相違点から分かること

バロック時代の作曲家は歌手の力量に合わせて作曲しました。当然ヘンデルもセルセ役を創唱したカッファレッリの能力を生かして作曲したでしょう。音域が広がり、跳躍するメロディが多く現れ、長いメリスマが追加されたことは、歌手のキャパシティを生かすためのアイディアを盛り込んだためと想像できます。
一方で、こうした差異からは時代が下ったことによる様式や流行の変化がうかがえます。ヘンデルが活動したバロック時代後期には、ボノンチーニの時期に比べアリアの規模が大きくなっています。ヴィルトゥオーゾと呼ばれる名歌手がたくさん現れ、妙技を競う時代だったのですね。

1600年代初頭にフィレンツェで生まれたオペラは、音楽史の観点からバロック時代に分類される150年の間に大きく変化しています。詳しくは、過去記事「バロックオペラの歴史」をお読みください。

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