バロックオペラ《セルセ》の比較記事も今回で5本目になります。1654年ヴェネツィア初演のカヴァッリ版、1694年ローマ初演のボノンチーニ版、1738年ロンドン初演のヘンデル版を比較してきました。過去記事はこちら 「オペラ《セルセ》比較分析論文の記事一覧」にまとめています。
前回は《セルセ》第二幕のシーンをとりあげて、ヘンデルがボノンチーニから受けた影響について書きました。今回は、ヘンデルのオペラに見られる特徴や工夫について4つほど挙げています。ヘンデルはボノンチーニ版を下敷きにしながら、独自のオリジナリティを加えていることが分かります。
ヘンデルのオペラに見られるレチタティーヴォの特徴
ボノンチーニのレチタティーヴォは「Ecco Romilda(ほら、ロミルダだ)」から始まります。ヘンデル版がレチタティーヴォを短縮しているため、台本は完全に同じではありませんが、あらすじは同様です。ボノンチーニのレチタティーヴォはシンプルな和声進行で進むのに対し、ヘンデル版は第一幕の比較記事「バロックオペラのレチタティーヴォ」でもふれたように意外性のあるものです。
観客を引き込む始まり方
ヘンデルの《セルセ》第二幕第4場冒頭は、「Ingannata Romilda(裏切られたロミルダよ)」というせりふではじまります。直前のアタランタの軽やかなアリアから突然、減七の和音が奏でられ雰囲気が一変します。「Ingannata 裏切られた」という単語に不協和音を当てるテクニック自体はめずらしくないものの、直前のアリアとのコントラストが不協和音の不安定な印象をより強めています。
心情を表現する和声
この短いレチタティーヴォは、ほとんどのせりふがロミルダの心を表すように短三和音に着地します。長三和音は属和音の機能として使われます。ただしセルセが「Che farete?(どうするのだ?)」と訊くところだけ終止形としての長和音(Aメジャー)が聞かれます。
このシーンはロミルダの恋人が彼女を裏切っているかのような偽の手紙を手に入れたセルセが、恋人をあきらめ自分の妻になるよう迫る場面。未来形で質問する「Che farete?」だけ長和音の上で歌われるのは、ロミルダの色よい返事を期待するセルセの心情を表すかのようです。
しかしロミルダ答え「Piangendo ogn’or vivrò(泣き暮らします)」は、彼女の心がセルセから遠く離れていることを示すように、Aメジャーから遠い調であるBマイナーの属和音の上で歌われます。
オペラ《セルセ》のあらすじは過去記事で紹介しています!
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過去にこのDVDの感想記事「ヘンデル《セルセ》のDVD Book」を書いています。
(比較)ボノンチーニのシンプルなレチタティーヴォ
一方、シンプルな和声で語られるボノンチーニのレチタティーヴォでも、この最後のロミルダの言葉「Piangendo(涙ながら)」には、減七の和音が書かれ苦しみを表しています。
ヘンデルのオペラにおけるアリア書法の特徴
「Se bramate d’amar」は、ヘンデル版もボノンチーニ版もアレグロ、イ長調、4/4拍子のブラヴーラ・アリア(華やかな見せ場のアリア)として作曲されました。前回の類似点でふれたように、アレグロのアリアの中に速度が落ちるアダージョ部分が出てくるのが共通点です。
アダージョ部分の工夫
ヘンデルのアリアのアダージョ部分はボノンチーニ版に比べ、和声的に複雑になっています。
- 回目:アダージョの前に7度の和音で止まるのが魅力的
- 回目:アダージョ部分で短調になり、ナポリの6度を聴かせる
- 回目:A部分はa-b-a’形式なので、1回目と類似したダブルドミナントの用法
哀愁を誘うバスの半音階が美しい。
ボノンチーニ版でもバスに半音階が用いられていた。ヘンデルはこれをよりはっきりとした形で使い、歌詞と相まって一気に内省的な曲調に。
ヘンデルの音画的なオーケストレーション
ヘンデルは、「vuò sdegnarvi(あなたを嫌いになりたい)」と歌う部分のオブリガードに、16分音符で駆け下りるヴァイオリンのフレーズを書きました。
ヘンデルやヴィヴァルディなど後期バロックの作曲家がよく使う、16分音符で下降する音階ですが、これは「絶望」を音画的に描いたのではないかと考えています。ドイツの音楽理論家マッテゾン(1681-1764)は著書の中で、「”絶望 Verzweinung”は心情・精神の完全なる落下」としているからです。
マッテゾンは、1739年に発表した『Der vollkommene Capellmeister(完全なる楽長)』の中で、個々のaffetto(情感)を音楽でどのように表現するべきか書き記している。例えば「”喜び”は大きな音程」「”悲しみ”はごく狭い音程」など。確かに悲しみを歌うラメント(嘆きの歌)ではバスが半音階を奏でる。
セルセのアリア「Se bramate d’amar」に書かれた下降するヴァイオリンのフレーズは、「彼女が自分の想いを受け入れないなら、いっそのこと嫌いになれたら。しかしそんなことはできない」という希望の無さを表しているようです。
片野 郁子(2014)「思想や情感の表出手段としての音楽修辞学的音型より:悲しみのバスモチーフを中心に」『宮崎国際大学教育学部紀要 教育科学論集 (1)』pp.50-51
(比較)チェロ奏者でもあったボノンチーニは…
「vuò sdegnarvi(あなたを嫌いになりたい)」のテキストには、ボノンチーニ版でもメリスマのフレーズがあてられていました。歌のメリスマに呼応するようにチェロのフレーズが書かれています。
ボノンチーニは素晴らしいチェロ奏者でもあったので、時折バスパートにチェロの旋律を書いているよ!
ボノンチーニ作曲「Se bramate d’amar」の録音
ヘンデル版「Se bramate d’amar」の録音はたくさんありますが、ボノンチーニ版はマニアック。現在YouTubeにUPされているのは筆者自身のレコーディングのみだと思います。
古楽オケではなくチェンバロ・リダクション版ですが、ヘンデル版との類似点・相違点を楽しんでいただくことはできるかと…!
レチタティーヴォ・アッコンパニャートの使用
ボノンチーニがレチタティーヴォ・セッコとして作曲したテキストを、ヘンデルはオーケストラ伴奏付きのレチタティーヴォ・アッコンパニャートとして作曲しました。その理由は、レチタティーヴォ・アッコンパニャートという形式が嘆きや葛藤などの心情描写により効果的だからでしょう。
河村 泰子(2008)「アッコンパニャートにみるヘンデルの劇作品創作活動」『研究紀要』32巻p.41
前々回のダ・カーポ・アリア記事にも書いた通り、ヘンデルのレチタティーヴォ・アッコンパニャートは奇しくも88年前のカヴァッリ版《セルセ》の同シーンを彷彿とさせます。しかし今回も、和声的に分析するとヘンデル版はカヴァッリやボノンチーニのものより興味深い進行になっています。
歌の音型でも心情を表現
1小節目からDm→E♭という普通ではない和声進行に、「本当に愛し続けられるのか」という懐疑的な様子が現れています。Traditor(裏切り者)や Barbara(野蛮な)などの単語に減七の和音を当てるテクニックは同時代によく用いられたものですが、最後のCrudele(残酷な)では和声ではなく、歌の旋律のオクターブ音程で心情を表しています。
(比較)ボノンチーニのレチタティーヴォ
ボノンチーニのレチタティーヴォ・セッコはやはりヘンデルと比べるとシンプル。でも第4場前半のレチタティーヴォと同様、最後にはCrudel(残酷な)に不協和音を用いて変化をつけています。
ヘンデルは音楽でキャラクターを描き出す
「E’ gelosia」は、ヘンデル版もボノンチーニ版もアンダンテ、4/4、ト短調ですが、音楽的な印象が異なります。
印象的な音型で始まるアリア
セルセのアリア「Se bramate」ではヘンデルはボノンチーニのスタイルを分かりやすく踏襲していました。しかしロミルダのアリアではヘンデルの独自性が発揮されています。ヴァイオリンと歌のユニゾンがオクターブを上がって下り力強く始まるため、ボノンチーニ版のロミルダより強さを感じさせる人物像となっています。印象に残る曲頭のテーマが、オーケストラの前奏を経ずに始まるのでより効果的。
ボノンチーニ版でも前奏なくアリアが始まる点は一致しているのですが、バスが応答するフーガのような作りになっています。
(比較)ボノンチーニ版のロミルダのアリア
こちらはボノンチーニ版のロミルダのアリア。ソプラノ記号で記譜されている上、当時の調号のルールが現在と異なるので分かりにくいのですが、ヘンデル版と同じト短調です。調、拍子、速度指示が同じでも、音程幅のせまい旋律を連ねた曲調はヘンデル版とかなり異なることが見て取れると思います。
今回はヘンデルとボノンチーニの相違点を挙げてみたよ。類似点については前回の記事(ヘンデルのオペラの過去作品からの影響)を見てね!
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