
バッハのインベンションなら子供の頃にピアノでたくさん練習したなあ。
でもチェンバロで弾くと奏法が変わるんだよね?
今回は、 このようにチェンバロ演奏に興味がある方に向けた記事です。
バッハのインベンションをチェンバロで演奏する場合、ピアノとどう違うのか、弾き方の特徴について書いてみます。
管理人は日本で11年間ピアノを習ったあと、イタリアでチェンバロを弾き始めて現在4年目。
最初の2年間はバロック声楽科の副科だったけれど、2018年からチェンバロ科で本格的に学び始めました。

すっかりピアノのテクニックが染みついた上で、チェンバロに転向して苦労しているので、「ピアノでバッハを弾き慣れているけど、チェンバロだとどう違うの?」という疑問に答えられると思うんだ。
チェンバロでバッハを弾くとき、ピアノと違う点は?
”ピアノの癖”が出てしまうとダメな部分。なぜなら、チェンバロの楽器としての特性をいかせなくなるから。
ピアノにはないチェンバロの音色の美しさを聴かせるにはどうすればよいのか?
チェンバロに適した軽いタッチを習得する
- 鍵盤をなでるように”奏でる”
- 手指の形は、だらんと手を下げたときに指先が少し丸まった形を維持
- 腕の重みを鍵盤にかけない
チェンバロの楽器の構造はピアノと大きく異なる
なぜこのような違いが生まれるかというと、楽器のつくりが違うために奏法が変わるから。
フェルトに覆われたハンマーで弦をたたくピアノと違い、チェンバロは薄いプラスティック製の爪(昔は鳥の羽軸が使われた)で弦をはじくことで音が鳴る。
こちらの写真 がチェンバロに張られた弦の様子

チェンバロの構造│張られた弦の様子
ピアノに比べて弦が細く見えるはず。
写真手前(下の方)が高音の弦、写真の上のほうが低音の弦だが、低音用の弦でもピアノのように太い金属弦ではない。
チェンバロの鍵盤を弾くと、爪がこの細い弦をはじくときの小さな抵抗が指先に伝わってくるのが、ピアノとは大きく異なる点だ。
ピアノは複雑な構造をしていて、打鍵と同時に複数の部分が動いてハンマーアクションが起こる仕組みなので、指先ですべてをコントロールしている感覚を得ることはできない。
鍵盤をなでるように弾くというのは・・・
爪が弦をはじく感覚が、鍵盤まで伝わってくるのでつまびくように弾くのだ。
ピアノだと普通、鍵盤の上を指がするっとすべるような弾き方はしない。
むしろ”もむように”弾く感覚もあり得るが、これがチェンバロだとむしろ逆。
響きをさまたげる原因になるので、鍵盤に押し込むような力をかけるのは厳禁なのだ。
手指の形
指のまがり具合は、リラックスしているときの形が良い。
でも手指の形に関しては、ピアノでも複数の流派があるから単純に違いを論じることはできないと思う。
筆者が習ったのは、「手の中に卵が入るように、猫の手で」というものだった。
だが、ロシア系のトレーニングを受けたピアニストに多い印象だが、もっと指を伸ばして弾く奏法もある。
だから、ピアノはこう、チェンバロはこう、というような単純な話ではなさそうだ。
腕の重みを鍵盤にかけない
ピアノを弾くときに使う手首のスナップだったり、肘から伝わる腕の重みだったりは、チェンバロを弾くときには必要ない。
ピアノと比べると、指先だけでさらさらと弾いているイメージ。
だから省エネというか体力は少なくて済むんだけど、その分こまかい表現に気を遣う必要があって神経が疲れるかもしれない・・・
チェンバロ演奏のアーティキュレーション
チェンバロはピアノに比べて、アーティキュレーションにより注意を払って弾く必要がある。
なぜならピアノのようにディナーミク(ピアニッシモからフォルティッシモまで)をつけられないかわりに、指先のタッチが忠実に響きに反映されるからだ。
もちろんピアノでも、スタッカート、ノンレガート、テヌート、レガートというように、タッチによって差をつける。
でもチェンバロは、このこまかさが段違い。
ピアノ初心者が、スタッカート、テヌート、レガートの3種類ぐらいしか引き出しがないところ、チェンバロだと初心者でもスタッカートとテヌートの間にさらに3種類ぐらい言葉にならないタッチの差がある感じ。
ピアノでディナーミクにさいていた神経をすべてアーティキュレーションに捧げると思ったら、そりゃそうなるよね・・・。
指先のこまやかな神経の前に、先生の模範演奏を聴いてタッチを聞き分ける敏感な耳や、繊細なセンスが求められる。

例えば、「シンコペーションの前ではちょっと切って」と言われるんだけど、雑に切ると大体「やりすぎ!不自然!」って言われるからね……。ガサツなタイプには苦労が多いぜ!
アーティキュレーションのための指使い(フィンガリング)
過去記事に「チェンバロのアーティキュレーションのための独特な指違い」について書いているが、実はこの指使い、チェンバロ奏者によってどの程度オーセンティックか?が異なる。
今回の記事の終わりにいくつかチェンバロによるバッハのインベンション演奏の音源を紹介しているが、奏者によってかなり解釈が違うことが分かる。
どのような指使いで弾くかによって、フレージングが変化する。
だからフィンガリングの選択は、アーティキュレーションに大きく関わっていて重要な項目だ。
2018年まで3年間習ったチェンバロの先生は、どんなレパートリーでも決してくぐらない、基本的に2,3,4の指を使って弾く(親指と小指はなるべく使わない)ということを徹底させる先生だった。
しかし2019年に新しく赴任されたチェンバロ科教授は、パーセルのように1600年代の作品ならこうしたオーセンティックなフィンガリングを求めるが、J.S.バッハやD.スカルラッティならば、ピアノに近い指使いで指導するタイプだった。

二人の先生の違い、先生が変わった経緯などは、過去記事「音楽院のチェンバロの先生が変わりました」に書いているよ。
バッハのインベンションをチェンバロで弾くとき気を付けること
演奏法以前の問題として、ピアノ用に編集された楽譜を使わないこと。
バッハが書いていないスラーや強弱記号が追記されたピアノ用のエディションは、チェンバロ演奏には邪魔になってしまう。

ピアノ用のバッハ/インベンションの楽譜
管理人が子供のころピアノレッスンで使っていたインベンションの楽譜。
p、f、クレッシェンドなど色々と印刷されている。
”テーマ”を聴かせる方法
インベンションでは、1~2小節の短いテーマを展開させる手法で曲が展開していく。
聴き手に、どこにテーマが隠れているのか分かるように弾く必要がある
チェンバロでは、テーマを目立たせる手段にディナーミクを使えないので、その代わりテーマの前で、ちょっと切る。
この”ちょっと”というのがまたセンスの見せどころで、不自然にならずわずかに目立たせなければならない。
トリルや装飾音を軽やかに
チェンバロの鍵盤は、ピアノと比べてトリルが弾きやすい。
バッハが装飾記号を書き入れていないところでも、奏者の判断でトリルを追加することもできる。
また下記のようなトリルは、チェンバロの音色がピアノに比べて減衰がはやいために生まれた奏法だろう。

インベンションNo.3に出てくるトリル
このトリルを弾くときに気を付けるように言われたことは、
- トリルは上の音から弾く
(上の楽譜の最初の小節、Solにトリルがついているが、Laから弾く) - トリルはだんだんゆっくりはじめて、次第にはやくする
- 左手の十六分音符とあわせない、右手のトリルを独立したリズムで弾く
チェンバロで演奏されたバッハのインベンションを聴いてみよう
バロック音楽は自由!?
ピアノ演奏に比べて、チェンバロで弾くバッハはそれぞれの奏者の表現が際立っていておもしろい……
インベンションNo.1聴き比べ。まずはオーソドックスな演奏
フランス・バロックの演奏で名高いチェンバロ奏者で音楽学者のケネス・ギルバートの演奏。
特徴的なアーティキュレーションをつけた演奏
オランダのチェンバロ奏者、セシル・ボガーツの演奏。
十六分音符を2つずつに分けたアーティキュレーションが特徴的。
十六分音符のフレーズを2の指と4の指(人差し指と薬指)だけを使って弾いているのかもしれない。
豊かな装飾を加えた演奏
聴き慣れたインベンションNo.1は通常、作品番号BWV722と呼ばれているもの。
こちらはBWV722aという番号で分類されるインベンションNo.1の異稿の演奏らしい。
ご存知、バッハ・コレギウム・ジャパンの音楽監督である鈴木雅明先生のインベンション。
Twitterで教えて頂いた情報を引用します。
こちらは経過音なし。なので現行では経過音なしバージョンが772になってますが、自筆譜ファクシミリを尊重するなら経過音ありバージョンの方がいいのか?ということでこちらを録音されたのではないかと思います。全部IMSLPで見られますのでおひまなときに。
— Mayumi Narako (@MayumiNarako) December 27, 2019
これはIMSLPのファクシミリを見ていただくとわかると思うのですけど、インヴェンションの自筆譜は三連符なのです。でもどうも経過音は後から書き足したっぽい。「インヴェンション」と纏められる前に同じものが「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのピアノ小曲集」にあるのですが、こちらは経過音なし。なので現行では経過音なしバージョンが772になってますが、自筆譜ファクシミリを尊重するなら経過音ありバージョンの方がいいのか?ということでこちらを録音されたのではないかと思います。全部IMSLPで見られますのでおひまなときに。
ツイートで言及されている自筆譜がこれ(右手はト音記号ではなくソプラノ記号で記譜されています)

インベンションNo.1(BWV722a)のバッハの手稿譜
こちらの手稿譜は、IMSLPの「15 Inventions, BWV 772-786」のページからお借りしました。
一段目のみ、3連符に青い丸印をつけてみた。
2段目、3段目も同じように三連符が記譜されている――というか書き加えたようにみえる。
いやいやこの曲、初心者が誰でも習うけど3連符がからむこのバージョンだったら、めっちゃ難易度あがるじゃん……左右の手で3連符と8分音符をばらばらに弾く曲なら全然、初心者向けではなくなってしまう。
超有名な曲にこんな異稿がある――というか作曲者の手書きの楽譜が、現在ひろまっているものとは違うバージョンで残されているなんて、わくわくしますね!
チェンバロでバッハを弾くときに気を付けることまとめ
チェンバロを弾き始めて4年目の管理人が、現在マスターしたいことを箇条書きにします。
- 指先のタッチをチェンバロの鍵盤に最適化する
- チェンバロを最大限に歌わせられるアーティキュレーションを身につける
- 軽やかで優雅なトリルを身につける
どれも決して簡単ではないけれど、チェンバロを演奏する上で最低限マスターしたいことです!
願わくば来年は、もっと上級者向けの「身につけたいことリスト」を書けますように……
なぜピアノよりチェンバロが楽しいのか、書いてみた記事もありますので興味のある方はお読みください。
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