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音楽院の3年次必修科目「舞台表現演習」の試験について

オペラの演技について学ぶ科目「舞台表現演習」試験内容は? イタリアの音楽院
この記事は約6分で読めます。
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ヴェネツィア音楽院の試験シーズンは年に3回あります。
それぞれ夏試験、秋試験、冬試験と呼んでいます。

6月は夏試験の時期。
試験勉強に時間をかけているので、ブログから遠のいております……

今日はどんな試験があるのか、書いてみようと思います。
と言っても、音楽史や和声法など想像しやすい科目ではなく、3年次必修科目の「舞台表現演習」の試験についてです。

管理人が在籍しているバロック声楽科のカリキュラムについては、「バロック声楽科3年間の必修科目一覧」の記事に書いています。

「舞台表現演習」はどんな授業?

現役の演出家が教授です。
一言でいえば、オペラの演技について学ぶ科目です。
様々なオペラの映像を見たあとに講義として解説を聞いたり、一人一人に演技指導があったりしました。

試験内容は?

試験内容は毎年異なります。
各学生に異なるアリアが与えられ、先生に演技指導してもらい、それを試験で披露するというのが一般的です。
二人の学生がペアとなりデュエットを歌って演じたり、複数の学生がワンシーンを演じることもあります。

今年の学部生向け試験内容の詳細

この試験は学部生も院生も受けるものです。
今年度の学部生の試験は、全員が同じアリアを、それぞれ異なる解釈で歌い演じるというものでした。
各自が自分にちょうど良いキーに移調して歌うことになっていますので、どの声種の学生も同じアリアで試験を受けます。

選ばれたアリアはヘンデルの《セルセ》から「Ombra mai fu」
誰でも知っている有名曲で、古楽科の学生も声楽科の学生にも対応でき、男子学生も女子学生も歌えるアリアということで選ばれたのでしょうか。


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「各自が異なる解釈で演じる」というのは――

「そう来るか!」と思ってしまったのですが、それぞれの学生が自分で選んだ解釈で演じるというのは、オペラについて自分の解釈を考えてくるという意味ではなく、まったく別の物語を演じるという意味だったのです。

ちょっと何を言っているか分からないでしょうが……

「なんのpersonaggio(ペルソナッジョ=登場人物、キャラクター)を選ぶか考えて」
と言われました。
えっ、ペルソナッジョはセルセなんじゃないの!?と思ってしまった私は頭が固いのだろうか。。。

「例えばピノキオとか―― ほかの物語や映画のキャラクターを一人決めて、それで演じて」
と先生はおっしゃいました。
とある中国人の留学生は、
「じゃあ、私はフランケンシュタインをやります」
と。
なぜ!? なんでOmbra mai fuでフランケンシュタイン!? と、あっけに取られてしまったのですが、先生もほかの学生たちもちょっとびっくりしただけで、「おお、面白そうだね」と受け入れていました。

なんであんなかわいい女の子がフランケンシュタインなんだと思ってしまった私は、自分の視野が狭いのだと気付きました。。。

あるイタリア人学生は、自分の考えたシチュエーションを先生に伝えるため、映画のシーンを切り取って張り合わせ、動画を作ってきました。
後ろにプロが歌うOmbra mai fuが流れる動画に仕立ててあるのですが、歌詞や曲と映像がちぐはぐにしか思えない私はここでも、自分が固定観念に縛られているのかも知れないと感じました。

現代のオペラ公演における「読み替え演出」に近いもの

教授から求められているのは、読み替え演出のような発想なのではないかと考えています。

私は好きではないのですが、オペラの舞台を現代に移したり、タイムリーな社会問題や政治を絡めたりする、読み替え演出というのがあるかと思います。

音楽や歌詞は、作曲家や台本作家が書いたものと同じなのですが、演出だけでまったく異なる時代・舞台で展開する物語に変えてしまうというタイプの演出です。

例えばヘンデルの《リナルド》の演出では、主人公リナルドをオタク高校生にして、彼が空想の中で自分が十字軍の英雄として、好きな女の子を助けにいく物語を妄想しているとした演出などがありました。

こういうことを考えないといけないのでしょうが、もともと歌詞のついているものを読み変えることに苦労しています。

原作通りのシチュエーションを選んではいけないのか?

教授に、
「オリジナルの台本通り、ペルシャの王セルセとして歌ってはだめなんでしょうか?」
と訊いたら、
「まあできると思うけど、あのオペラは難しいからね」
と言われました。

私としては、あのアリアを聴くだけで勝手に豪華なペルシャ風の宮殿の中に広大な中庭が広がっていて、そのプラタナスの木陰をめでているというイメージが浮かんでしまうので、別のシチュエーションを考えるほうがずっと難しいです。

えーっと日本の元号が令和に変わったばかりだし、天皇陛下が皇居の庭でも眺めてる? あれ? これじゃあほとんど読み替えになってない・・・などと試行錯誤しています(笑)

発想力の柔軟性の欠如を棚に上げて、「日本の義務教育の弊害!」などとうそぶいていても何も解決しませんので、ロックスターが別荘で~とか色々と考えたいと思います。

その後、実際に考えて授業と試験で演じた演出は以下の記事で読めます! 

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自分の解釈をみつける

どうしてもアリアの歌詞や、もとのシチュエーションを無視できないので、それを武器に新しいものを生み出すしかないという考えに至りました。

自分にとっての「セルセ像」

管理人にとってのセルセというキャラクターは、この時点では燃えるような現実の恋愛をまだ知らなくて、美しい緑に心を奪われている青年というイメージ。

自然は拒絶することなく彼を無条件に受け入れてくれる。
これまでの人生はいつも、王として求めるものがすべて手に入る生活だった。
まだ本当の恋をしたことがなくて、他者から自分が”受け入れられない”という経験をしたことがない――

このアリアはオペラの最初に出てくるのですが、「子供のような万能感の現れ」だと解釈しています。
その後、愛した女性の心が思い通りにならないことへ葛藤が生じるのですが、その前の伏線として描かれていると考えています。

《セルセ》はバロックオペラなので、こうした個人の内面の成長を描くものではないでしょうし、ヘンデルもそんなこと考えて曲を付けていないだろうと思っていますが・・・。

《セルセ》のオリジナルはヴェネツィアの作曲家カヴァッリの1655年のオペラで、ニコロ・ミナートの台本。
メタスタージオの貴族的なオペラ・セリアに席巻される前の、ちょっとばかばかしいところもあるヴェネツィア・オペラです。

それを個人の内面に着目して読み解いた時点で、十分に勝手な解釈をしていることになると思うし、これ以上は越権行為なんじゃないかと……

そう、私は現代演出のオペラを目にするたびに、演出が音楽を邪魔していて、演出家の越権行為なんじゃないかと感じていたんですよね。

今自分がそんな演出を考えなければいけないからモヤモヤしているのかも。

人生に無駄な試練はない

必修科目の試験だから、やらざるを得ないというのは事実なのですが、人生に起こるイベントはすべて乗り越える価値のあるものだと考えています。
逆に言えば、何か学ぶべきことがあるから、ある出来事が自分にとって、厄介ごとや困難に思えるのだと。

自己表現の練習なのか、発想力を鍛える勉強なのか、とにかく自分に足りない部分があるからつまづいているわけで、正面から向き合って乗り越えようと思います。

まとめと感想

実際にオペラの舞台の現場では、歌手は演出家の意図や解釈に従わなければいけません。

でもこの授業に出たことで、歌手も演技や解釈について自ら考えるトレーニングを積んでいることが分かりました。

オペラが好きでも観客として見ているだけでは知らないこともたくさんあるので、音楽院の授業は興味深いです。

結局、なんの映画を選んでどんな演出にしたのか――20日後に記事にしています 

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  1. ベルカント より:

    この課題は大変そうですね。
    そして、現代オペラの演出については主さんと同じ考えです。
    邦楽の勉強の為、謡のお稽古を続けていましたが、能は650年変わらないという事になっていますが、師匠曰くそれは違うと(一般人にはおなじに見えますが)能という芸術そのものが同じ公演が二度とない様になっている、簡単に言うとそういう意味だと思います。ゲネプロが無いのがその証拠ですね。
    やはり、そこが西洋と日本の文化の差なんですかね。
    でも、バッハ・ヘンデルは勿論、ベートーヴェンやショパンも音律のわずかな差に気を配りながら作曲しているんですよね。そして、聴衆もその差を感じていた。あと、上記の人達はアドリブの名手な訳ですし。
    無理に変える必要はないと思うんですけどね。
    リベラルアーツの仲間、天文学。
    ベートーヴェン先生と同じで星が好きで良く眺めますが、星の輝きはいつも同じです。
    でも、美しい事に変わりはなく、眺め続けていますものね。
    変わらなくて良いこと、変わらなければならないこと、そのバランスが難しいですね。

    • イタリア音楽サロン管理人 管理人 より:

      コメントありがとうございます!
      そう、この課題は大変でしたね。
      最終的には楽しめるようになりましたが、そうなるまでが・・・
      各自映像まで作ることになり、もはやなんの勉強をしているのか・・・と思いながら夜中作業していました(苦笑)

      謡のお稽古をされていたんですね!
      実は私の母も、趣味ですが謡と仕舞を習って20年です。
      母の師匠は70台後半の名人の方ですが、やはり話が深くておもしろいです。
      「能は650年変わらないという事になっていますが、師匠曰くそれは違うと」というのも深いですよね・・・
      とはいえ、オペラと違って能や歌舞伎は演出ごと伝えているので、
      十字軍の時代のヨーロッパが舞台だった作品が、
      湾岸戦争中の20世紀に変わったりはしないので、そういった点が良いなあと思います。
      楽譜だけでなくト書きや演出も尊重してほしいなあと思います(^^;)
      しかしバロックオペラは機械仕掛けが派手だったので、予算の関係で現代に再現するのは難しいのかもしれませんが。

      日本とヨーロッパでは、変えるものと残すものが違うのは興味深い文化の差だと思います。
      日本は地震が多いから仕方ないのかも知れませんが、建物を残さないですよね・・・
      鉄筋コンクリートのビルなら木造と違って長持ちしそうなのに・・・?
      ヴェネツィアで暮らしていると数百年前の建物の内装だけ変えて使っています^^

      そうそう、空気中の湿気が少ないせいかヴェネツィアでは東京よりずっときれいな星空が見えますよ。

  2. ベルカント より:

    映像まで作るのは大変ですね。
    パソコンが無ければ授業自体が成立しない事を古楽の学生がやっている、というのも面白いですねw

    お母様がお仕舞と謡をされているんですね!
    本当は自分も仕舞をしなければだったんですが、稽古の時間が取れそうに無かったので謡だけにしてもらいました。その経験がレッスンに生きるのが面白いです。

    オペラの演出については友人の話も二通りで、イタリアで現代の軍服とか着たアイーダを見たらブーイングが出て酷かったと。
    もう一人の友人は、シドニーのオペラハウスで斬新な演出で面白かったと。そして、そうなる前にオペラハウスが潰れかけた事も知りました。
    伝統的なだけでは無くなってしまうとなると税金ですが、税金は伝統芸能にとって麻薬だという邦楽バンドをプロデュースしている作曲家の友人もいますし、かなり難しい問題ですね…
    特に日本は家元制度とかありますから西洋とは事情が違うかもしれませんが。

    ヴェネツィアは星がよく見えるんですね!
    透明度もありますが、空も暗いんだと思いますよ。
    ヴェネツィアで見る星も素敵でしょうね〜

    • イタリア音楽サロン管理人 管理人 より:

      ほかの授業ですが、コンピュータ・ミュージックも必修だったので、古楽科でもパソコンが使えないと卒業できないですね(苦笑)
      私は趣味でDTMをやってきているので、この授業はラクをさせてもらいましたが、映像制作は不慣れなので時間がかかりました・・・

      謡のお稽古が声楽に活きてくるんですね!!
      意外なような納得できるような・・・面白いです。

      オペラの新演出は賛否両論ありそうですね・・・。
      国や街によっても保守的な人、そうでない人の割合が違いそうですし。
      それに演目によっても、斬新な演出でおもしろくなるものと、許せないと感じるものがあるように思います。
      私はあまり新進気鋭の演出を好まないのですが、ラ・フェニーチェで観たビゼーの《カルメン》は舞台の上に自動車が出てきたりしましたが、楽しく観られました。

      税金は麻薬・・・ですか。
      イタリアの小都市にはどこでもオペラハウスがありますが、税金で運営が成り立っているところも多いようです。
      ヴェネツィアのラ・フェニーチェは民間の企業が運営していますが、観光客が多いから利益を出せるのだと思います。

      日本の伝統芸能のほうが、イタリアのオペラより税金に頼っていないように感じていましたが、日本でも税金でけっこう補助しているんですね。