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バロックオペラのレチタティーヴォ ~時代によるスタイルの変化~

バロックオペラのレチタティーヴォ ~時代によるスタイルの変化~ オペラ《セルセ》
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オペラが生まれたのは16世紀末のフィレンツェ、歌うように語るレチタール・カンタンドの試みから生まれたことは、過去記事「バロックオペラの歴史」に書きました。

レチタール・カンタンド様式で書かれたモノディ形式の曲がオペラの始まりだと言われても、僕が好きなヘンデルやヴィヴァルディのバロックオペラとは全然違うスタイルに聴こえるんだけど?

歌と語りの中間的な様式だったレチタール・カンタンドは、100年近い時を経て、独立した歌曲であるアリアと、よりセリフに近いレチタティーヴォ・セッコに分かれていったんだよ。

この記事では、同じ台本をベースにしたオペラ《セルセ》第一幕のワンシーンのレチタティーヴォに、カヴァッリ、ボノンチーニ、ヘンデルがつけた音楽を比較することで、バロックオペラのレチタティーヴォのスタイルの変化にせまります

比較するシーンは
  • カヴァッリ版(1654年初演)の第一幕13場
  • ボノンチーニ版(1694年初演)の第一幕13場
  • ヘンデル版(1738年初演)の第一幕11場

 カヴァッリ版はルネ・ヤーコプス指揮の全曲録音CDが出ています。

 ボノンチーニ版は録音・映像ともにまだありません。

 ヘンデル版は録音多数、日本語字幕付きDVD(クリストフ・ルセ指揮)もあります。

 過去にこのDVDの感想記事「ヘンデル《セルセ》のDVD Book」を書いています。

バロックオペラのレチタティーヴォの変化

バロックオペラのレチタティーヴォの変化

カヴァッリ、ボノンチーニ、ヘンデルのレチタティーヴォを比較すると、上の図に示したように、カヴァッリだけ様式が違うことに気付いたよ。

ボノンチーニとヘンデルのレチタティーヴォ様式

ボノンチーニの時代にはすでに、レチタティーヴォは旋律的でない書法に変化しています。

旋律的でないレチタティーヴォ

イタリア語では「よりセッコ(secco)になった」と表現します。seccoは「かわいた、乾燥した、そっけない」などの意味を持ちます。

ボノンチーニの書いたレチタティーヴォのフレーズは、カヴァッリと比べると単調で、予測のつきやすい動きが繰り返されます。一方、旋律はアリアに集中しています。

番号オペラ

このようにレチタティーヴォとアリアがはっきりと分離したオペラを「番号オペラ(もしくはナンバーオペラnumber opera)」と呼びます。イタリア語では、opera a numeri chiusi(閉じた番号のオペラ)、forma chiusa(クローズドなフォーム)などと呼んでいます。

番号オペラは一般的に18世紀初頭に始まったとされますが、1694年初演のボノンチーニのオペラにはすでに番号オペラの書法が見られます

ボノンチーニのオペラ《セルセ》第一幕13場のレチタティーヴォ

譜例1)ボノンチーニのオペラ《セルセ》第一幕13場のレチタティーヴォ

17世紀から18世紀にかけて、レチタティーヴォにおけるテキストと和声の基本的な関係が変化していることが分かります。

カヴァッリのレチタティーヴォは旋律的

カヴァッリのレチタティーヴォは、 ボノンチーニやヘンデルと比べて歌・バスともに旋律的に動きます。メリスマ(速い音符)のフレーズが出てくるなど、時々アリオーゾのよう。まだ、初期オペラのレチタール・カンタンド様式の影響が残っているためです

レチタール・カンタンドとは

「演じながら歌う」という意味で、詩を朗唱するスタイルです。1600年代初頭に編み出されました。詳しくは過去記事「バロック声楽レッスン1年次」にて用語解説しています。

以下に、カヴァッリの《セルセ》第一幕13場のレチタティーヴォから、レチタール・カンタンド様式の影響が残っている特徴的なフレーズをいくつか紹介します。

なおカヴァッリの手稿譜は、Webサイト「IMSLP / ペトルッチ楽譜ライブラリー」からダウンロードできます。

 リュリ編集のパリ公演版も載っていますが、3幕に分かれてアップロードされているヴェネツィア初演版をご覧ください。オリジナルはヴェネツィアの国立マルチャーナ図書館に所蔵されています。

バスの下降音型

カヴァッリのレチタティーヴォには、順次進行で降りてゆくバスの動きがたびたび使われています。

例えば13場冒頭のセルセのフレーズ「Queste vittorie, Eumene, augurano vittoria anco al mi’ amore.(これらの勝利は、エウメーネよ、我が愛における勝利の前触れのようではないか)」の下では、バスが La-Sol-Faと下降音型で動きます。セルセの会話は戦の勝利について語っているようで、この情緒的なバスは、彼の心が恋の話題に向いていることを感じさせます(下記「譜例2」参照、セルセのパートはアルト記号で記譜されています)。

カヴァッリのオペラ《セルセ》第一幕13場冒頭

譜例2)カヴァッリのオペラ《セルセ》第一幕13場冒頭

また同じシーンのセルセの言葉「Io l’amo, e più serene altre luci non vidi.(余は彼女を愛している、あれほど澄み切った瞳を見たことはない)」でもバスが下降し、愛する人の面影を思い描いてうっとりとしている様子を表します(下記「譜例3」参照)。

カヴァッリ《セルセ》第一幕13場レチタティーヴォ4頁目

譜例3)カヴァッリ《セルセ》第一幕13場レチタティーヴォ4頁目

歌とバスが作る7度の響き

2つめの例は、13場冒頭のセルセのセリフ(これらの勝利は、我が愛における勝利の前触れのよう)に続くアマストレの「Hai già vinto, mio core. (そうよ、あなたはすでに私の心を手に入れた勝者だわ)」について。
core(心)」という詩句を歌うfaの音と、バスのSolが作る7度音程が、アマストレの恋の喜びと苦しみという相克する感情を表しているようです(下記「譜例4」参照。アマストレのパートはト音記号ではなくソプラノ記号で記譜されています)。

カヴァッリ《セルセ》第一幕13場レチタティーヴォ

譜例4)カヴァッリ《セルセ》第一幕13場レチタティーヴォ2頁目

なおこの時点ではまだアマストレはセルセの裏切りを知りません。彼がロミルダに対して独りごちる愛の言葉を、彼女自身へのものだと捉えている切ないシーンです。

オペラ《セルセ》のあらすじや登場人物の名前なんて覚えてないよ~という方は、過去記事「オペラ《セルセ》のあらすじ」をご覧ください。ヘンデルのオペラについて書いていますが、おおまかなあらすじはカヴァッリ版もボノンチーニ版も共通しています。

「愛の矢」という詩句に書かれたメリスマ

3つめの例として挙げるのは、アマストレのレチタティーヴォ「E se l’avesse, stral d’amor la spezza(もしそれ(残酷さ)を持ったとしても、愛の矢がそれを砕くでしょう)」。

CHECK

バロック音楽の歌詞に「愛の矢」が登場したときは、愛の神クピド(キューピッド)が背負う弓矢を意味しています。羽の生えた小さな子供の姿をしたクピドが、目隠しをして当てずっぽうに放った矢によって、人は恋に落ちるのです。

カヴァッリは「stral d’amor la spezza」(愛の矢がそれを砕く)の部分にメリスマを書くことで、クピドが放つ愛の矢のスピードを音画的に表現しています(下記「譜例5」参照)。

カヴァッリ《セルセ》第一幕13場レチタティーヴォ

譜例5)カヴァッリ《セルセ》第一幕13場レチタティーヴォ3頁目

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ヘンデル版におけるレチタティーヴォ短縮

ヘンデルがロンドンで初演したオペラは、オリジナルの台本を改訂する際に、かなりレチタティーヴォを削減しています。《セルセ》も例外ではなく、登場人物の数もボノンチーニ版に比べてかなり減っています。

ヘンデルのレチタティーヴォ短縮の理由

こうした台本改訂の理由を、ヘンデル研究者として著名な音楽学者ウィントン・ディーンは以下のように述べています(『ヘンデル ~オペラ・セリアの世界~』p73-75)。

  1. ロンドンの聴衆が、外国語であるイタリア語のレチタティーヴォの微妙なニュアンスを理解できずに飽きてしまうため。
  2. ヘンデルを含め18世紀の作曲家が書くアリアの規模は17世紀のものより大きかったので、過去の台本をそのまま用いるとオペラ上演が一晩中かかってしまうから。
  3. 役柄の数に対して、能力の見合う歌手を雇える数が少なければ、いくつかの役はレチタティーヴォだけにされるか、もしくは完全に削除されたため。

台本から消された脇役たち

ヘンデルが用いた台本をボノンチーニ版と比較すると、重要な脇役がけずられていることに気が付きます。彼らはもちろん、カヴァッリ版でも活躍していました。

  • アリストネ……アマストレとつねに行動を共にしている。彼女の故国の貴族で、姫君であるアマストレのお目付け役のような人物。
  • エウメーネ……セルセお気に入りの宦官で、カヴァッリ版ではセルセと二重唱を歌うことが多い。
  • クリート………ロミルダの小姓。カヴァッリ版ではコミカルな役回りもになっていた。

カヴァッリ版とボノンチーニ版では、レチタティーヴォを構成する登場人物が多いために会話が複雑です。よってヘンデルのオペラよりレチタティーヴォ部分がかなり長くなっています。

ヘンデルが活躍したロンドンには、イタリア人歌手も滞在していましたが、ナポリやヴェネツィアのようなイタリアの都市には及びません。有能な歌手と言えばその多くがイタリア人だった時代、ロンドンで質の高いオペラを上演するには、イタリアから歌手を呼んでくる必要がありました。経済的な事情により、作曲家も台本作家もこれらの脇役を削除する必要があったのでしょう。

MEMO

ちなみにヘンデルは、みずから若手歌手を育成し、自分の作品に出演させていました。

異なるタイプの王侯貴族の描写

高貴な登場人物の”お付きの人”役が削除されたのは、ヘンデルの時代には高貴さの描き方が変化していたという理由もあるかも知れません。

カヴァッリとボノンチーニが用いた台本に見られる王侯貴族の描き方は、古代ギリシャ・ローマのタイプ、そこではつねに貴族たちは、冷静なアドバイス役を担う召使いをともなって行動します。ルネサンス時代には古代ギリシャ・ローマの文化が理想化されたので、古代に理想とされたつねに臣下の助言を受けて意思決定をする王侯貴族像がえがかれました。1600年代はまだそうした貴人の理想像が残っています。

一方、ヘンデルが付曲した台本では、身分の高い人物は独断で物事を判断し、より直接的に力を行使する――フィクションにおける高貴な人物の描き方に変化が見られます。

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ヘンデルのレチタティーヴォ書法の特徴

ヘンデルの第一幕11場のレチタティーヴォは、遠い調への転調を繰り返します。B♭ではじまり、F・Dm・Dを経てEmへ転調する――こうした特徴は、和声感覚を豊かにし、歌のフレーズをより多様化し、レチタティーヴォを変化に富んだダイナミックなものとするだけでなく、登場人物間の関係性や心情を表していると考えられます。

表現ゆたかな和声進行の例

第一幕11場に見られる特徴的な和声進行をいくつか見ていきましょう。

予想外の進行が表す心変わり

1つめの例は、第一幕11場3番目のセルセのフレーズ「Ma pur che dirà Amastre, e l’offeso suo padre del mio imeneo, del mio novello amore?(しかしアマストレはなんと言うだろう、そして腹を立てるだろう彼女の父親は、余の結婚と新たな愛に対して?)」。

del mio novello amore(我が新たな愛について)」とロミルダへの想いに言及するとき「del mio novello(私の新しい……)」までは和声的にはDの中で歌われます(バスはFa#、通奏低音の数字は6)。D→Gと解決するのかと思いきや「amore(愛)」はBに進行します(バスはRe#、数字は6)。

意外性のある和声進行が、アマストレからロミルダへの心変わりを表し、星の定める運命からはずれる様子を示すようです(下記、譜例6の(1)参照)。

同じコードが続くのは言いよどむシーン

次の例は、アマストレが長いセリフで言い訳をするシーンです。物陰に隠れていたアマストレは、セルセの裏切りに対し思わず「Menti!(嘘つき!)」と口走ってしまい、「誰に対して申したのか」と言いとがめられます。
セルセの前へ出た彼女がとっさに言いつくろうレチタティーヴォ「Al mio compagno(私のつれの者に), che sostener volea(彼が主張したがるので), che il vasto Eufrate… e che il ponte che fate… sarebbe esposto a venti(広大なユーフラテス川に……陛下が架ける橋が……風に襲われるかもしれないと), io per discorso allor dissi: tu menti(それで私はその話に対し言ったのです「あなたは嘘つきだ」と).」では、ヘ長調の属和音が解決せずに引き延ばされ、言いよどむ雰囲気が表現されています(下記、譜例6の(2)参照)。

遠い調への転調が届かない恋心を示唆する

直前のアマストレのレチタティーヴォはGの和音で終わるのに対し、セルセは「Sciocchi mi rassembrate, ite lontani!(くだらぬことを。さがれ)」をアマストレの心が伝わらないことを示唆するように、遠い調のB♭で歌い出します。(下記、譜例6の(3)参照)。

彼は一人になるとロミルダを思い出し、「Sempre mi torna in mente il bel ch’adoro(いつでも心によみがえる いとおしい人の美しき面影)」と歌いますが、「Sempre mi torna」を支える短調(Am)の和音が美しく繊細な印象を与えます。(下記、譜例6の(4)参照)。

ヘンデル《セルセ》第一幕11場

譜例6)ヘンデル《セルセ》第一幕11場

今回の比較記事はここまで! 第一幕アリア比較記事も読んでみてね 

オペラ《セルセ》第一幕のアリア Più che penso alle fiamme について、ボノンチーニ版とヘンデル版の比較記事を書いています。

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  1. ベルカント より:

    以前書き込みさせて頂いた、ベルカントと申します。卒業おめでとうございます。そして新たな目標に向かって頑張って下さい^_^
    私の方は最近カウンターテナーにハマり、古のテノールに想いを馳せる日々です。

    いきなり質問なのですが、まとめて下さってある、モレスキのサイトを今勉強中なのですが、カストラートの為に書かれたセリアの主役はその後、女性が男装して歌ったと有りました。
    それが記載されている資料名を教えて頂くことは出来ますか?
    大変興味深い事で、これが事実とすると、フローレスの様なスーパーテナー達が出て来るまではお蔵になっていた作品達の、異常に高音なテノール役も、テノールとコントラテノールで歌ったという事なのでしょうか?
    ベッリーニなどは特に二点ファまで出て来ると言うことは、メゾソプラノの音域に迫っていますよね。
    あと、モーツァルトのイドメネオやベートーヴェンのフィデリオなど、この辺りの高い音が出てくるテノール役も、ディュプレが二点ドを出す遥か前のオペラで、現代のオペラではプッチーニの作品で使う様なヘビーな声で、高音が連発するのはどう言う事なのだろうと思っていましたが、この場合もやはりテノールがテノールとコントラテノールの音域で歌ったのでしょうか。
    漠然と楽譜からの推測はされていますが、出典が示されているブログや論文は見た事が無かったので、本番イタリアではその様な資料が有るのかと思いまして。
    回答頂ければ幸いですm(_ _)m

    あと、オンラインで古学のレッスンとかはされていないのですか?出来れば、今まで蓄積された知識を教えて頂きたいです。

    失礼致しました。

    • イタリア音楽サロン管理人 管理人 より:

      コメントありがとうございます!

      まずご質問から・・・「カストラートの為に書かれたセリアの主役はその後、女性が男装して歌ったと記載されている資料名」ですが、、、なにぶんあのサイトを書いたのが5年ぐらい前で記憶が遠くて申し訳ないのですが、少なくとも日本で読んだ日本語の資料です(翻訳書だったかも知れませんが)。

      例えばバロック時代のオペラは歌手を想定した「当て書き」ですが、稀に人気作が再演されるときは、カストラート役を女性が歌うこともありました。
      手に入った歌手に合わせて書きなおすこともあったようですが。

      そもそも初演時から”ズボン役”として作曲されている役柄も結構ありますよね。
      例えば《セルセ》のアルサメーネ役など。

      でもこれはバロック時代(1700年代前半)までの話で、「フローレスの様なスーパーテナー達が出て来るまではお蔵になっていた作品達の、異常に高音なテノール役」というのはベルカントオペラの時代でしょうから、また話が別だと思います。

      古典派~初期ロマン派作品のテノールは、現代の一般的な(古楽ではない)テノールとは異なり、カウンターテナーのようにファルセットも使いこなしていたそうですから、それで音域が高いのだと思います。
      胸声でのアクートはジルベール=ルイ・デュプレからですよね。
      ロッシーニの《ウィリアム・テル》のアルノール役をファルセットを使わずに歌って観客を熱狂させたとかいう逸話が残っていたはずです。

      ですので「テノールがテノールとコントラテノールの音域で歌った」と表現できると思います。
      テノールの発声法が今と違ったということですよね。
      現代のバロック・テノールはファルセットも混ぜて歌いますよね。

      こうしたことはイタリアの音楽院の「声楽の歴史」の授業でも教わりましたが、渡欧以前に知っていたので日本で読んだ本に書いてあったのでしょうね。。。
      地元の図書館で、ベルカント、声楽、オペラの歴史、カストラートなどのキーワードで検索にかかった本を手あたり次第読んでいました(笑)

      レッスンは、オンラインではバロック声楽や発声のレッスンぐらいですかね~
      座学で古楽の歴史的な内容を扱うレッスンはしたことないです(汗)
      以前、カウンターテナー研究会さんでモレスキに関するレクチャーをさせていただいたぐらいです。。。

  2. ベルカント より:

    詳しい説明、ありがとうございます!
    女性が代役として歌ったのは18世紀中頃迄なのですね。あと、日本語の資料でもそこまで書いてあるものがあるんですね、勉強不足でお恥ずかしい(汗)
    バロックテノールというジャンルが有るのも知りませんでした。そこでは使い分けがされているんですね。調べてみたいと思います。

    自分はロッシーニが失われたと話すベルカント、特にテノールがどの様な声で歌っていたかに興味があります。
    モーツァルトのアリアなども胸声と頭声を使い分けて歌うと、マエストロの指示が守れるし、音楽的にも甘美になると感じています。
    ただ、確固たる裏付けも有りませんので、なかなか演奏する勇気が無いのも本音です。カウンターテナー が増えてきた様に、バロックテノールの様な歌い方も、作品が作られた時代によって使われると、歌手も見る側も幸せになれるのにと思います。
    フローレスのコンサートでも、オペラのアリアは素晴らしいのですが、最後の方は少々耳が疲れたのも正直な感想でした。それより、アンコールでクラシックギターを弾きながら、ナチュラルに通る声で歌ってくれたスペイン語の歌は素晴らしかったし、大きなホールで裏声を使っても十分楽しめる事を教えてくれました。

    あと、レッスンもされているんですね。サイトをよく見たらお問い合わせフォームが有りましたねf^_^;
    また知恵を貸して頂きたい時には改めてご連絡したいと思います^_^
    ありがとうございました☆彡

    • イタリア音楽サロン管理人 管理人 より:

      こんにちは。
      「ロッシーニが失われたと話すベルカント、特にテノールがどの様な声で歌っていたか」興味ありますよね。
      声種に関係なく、録音の残っていない時代の歌について我々が知ることができるのは限定的ですね・・・歌だけでなく楽器の演奏様式についても、当時の教本が残ってはいるけれど、結局21世紀バージョンの古楽になっているのでしょうね。

      「胸声と頭声を使い分けて歌う」歌い方がされていたのではないかと、コーネリウス・リードは「ベル・カント唱法」の中で書いていましたね。
      この本は興味深いのですが実践しようとすると「で、どうすれば?」と思わなくもないという・・・。

      フローレスのコンサート、素晴らしいでしょうね!!
      でも確かに、オペラ全幕を通して見れば、ここぞというところに配置されたハイライトのアリアを続けて聴くことになるので、贅沢とはいえちょっと疲れるのも分かります。。。

      テノールが歌うバロック作品の例です。
      MiかFaのあたりでかなり頭声寄りの発声になっていますよね。
      https://www.youtube.com/watch?v=S42A5swnR6s

      「問い合わせ欄」ではなくこれまで通りコメントでも大丈夫ですし、使いやすいほうをお使いください!