(写真は発表会の様子です。個人が特定されないようにぼかし加工をしています!)
昨日、チェンバロの実技試験を受けました。
試験内容は「チェンバロ科(preaccademico)1年目の期末試験プログラム」に書いています!
その結果学んだ3つの事柄について書きます。
イタリア音楽院の試験では自己アピールできる曲から弾くこと
試験開始の1時間後に発表会という大忙しのスケジュール
最初から無理のあるスケジュールだなあ、大丈夫?? と思っていたのですが・・・
- 14:30~ 3人の学生のチェンバロ実技試験
- 15:30~ チェンバロ発表会(2度目)
チェンバロ発表会は先週金曜日もあったので2度目です。
2度発表会がある謎な仕組みです・・・
2回とも出られる学生は両方に出て、片方しか出られない、もしくは出たくない学生は片方に出ます。
管理人は、人前で演奏する経験を少しでも多く積みたいので、両方の発表会に出ました。
チェンバロのレッスンは、去年・おととしとバロック声楽の副科として必修でしたが、本科としてはじめたのは2018年秋(新年度は11月はじまり)から。まだはじめて半年の初心者ですから外部のコンサートの機会はありません。
学校の発表会に積極的に出たいというわけです。
音楽院の試験は必ずといっていいほど押すので、1時間で3人こなせるのだろうか? と最初から疑問でした。
試験は30分遅れてはじまった
案の定というかなんというか、審査員の先生が遅れていらっしゃいました。
でもこの先生を責めることはできません――というのは、オルガン科の担当教授なのですが、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂のオルガン奏者として働いているので、スーツケースを引きながらヴェネツィアにある音楽院まで駆けつけてくれたのです。
ローマから出た飛行機か特急列車が遅れたのでしょう。
・・・だからそもそもこのスケジュールに問題があるんだってばよ、と日本人の私は思います。
15分ぐらいと言われていた試験は5分で終わった!
「チェンバロ科(preaccademico)1年目の期末試験プログラム」の記事に書いたように、プログラムは作曲家の年代順に書いて提出していました。
「何から弾く?」
と訊かれて、当然のようにプログラムの最初から弾いてしまいました。
今までの経験から、2曲あるマレンツィオ、3曲あるバッハに関しては、審査員が1曲だけ指定してくるかも知れないとは思っていたのですが・・・
結局4曲目まで弾き終わったところで、
「じゃあこれで終わりにしよう」
と言われました。
「チェンバロ科(preaccademico)1年目の期末試験プログラム」に書いたように、通奏低音と初見の試験もプログラムに含まれており、通奏低音のほうはしっかり対策をしていたので、
「通奏低音の試験は・・・?」
と訊いたら、
「発表会の開始時間まであと15分しかないから・・・。
まだルカの試験が終わってないし」
と、チェンバロの先生からすまなそうに言われ退出することに。
ルカはオルガン科の学生だけどチェンバロも必修。彼は修士課程なのでプレアッカデミコの私より長い曲、難しい曲を弾くはずなので15分で終わるのだろうか? と思いながら教室を去りました。
結局15分では終わらず、発表会の客席1列目に審査員の先生方が座って、試験の続きとして演奏を聴いていました・・・。
プログラムは無視して好きな曲順で弾くべきだった
簡単な曲だけ弾いたので間違えることもなく、したがって試験結果が悪くなることはありませんでした。
悔しい思いをしたわけではないですが、「あんなに一生懸命練習したのに」とやや不完全燃焼です。
マレンツィオの1曲目なんて1ページの半分ぐらいの短い曲、最後のガルッピのソナタは4ページある曲なので、8曲のプログラム中4曲弾いたといっても、3分の1ぐらいしか弾いていません。
はじまったと思ったら終わっていた・・・
でも試験時間が押していたことは分かっていたのだから、臨機応変に審査員の先生方に聴いて欲しい曲から弾くべきでした。
柔軟性や機転も評価のうちだと考えれば、いい勉強をさせてもらったということですね。
試験官・観客との精神的な距離の作り方が、歌と楽器では違ったこと
うまく弾けた曲と、練習のときよりずいぶん落ちてしまった曲を比べると、うまく弾けた曲では演奏中、意識から試験官の先生方の存在が消えていたと思います。
発表会でも当然ながら1回目より2回目のほうがうまく弾けたのですが、2回目はチェンバロと心を通わすかのように、音楽と自分だけの世界にワープして、作曲家の魂とコミュニケーションを取りながら弾いていたように感じます。
こうした精神状態は、歌うときと少し異なります。
声楽の試験やコンサートでは、まず伴奏者の存在があります。
ほかの歌手と多声音楽を歌うこともありますし、7人ぐらいの弦楽器とあわせたこともあります。
まず楽器の人と息をあわせる感覚があります。
そして歌手は観客や試験官のほうを向いて歌うので、視界や意識から彼らの存在を消すことはなく、むしろ聴いている方の心に届くように歌っています。
声楽の先生はよく「歌は観客とのコミュニケーション」だとおっしゃいますが、確かに心をひらいて自分を見せるようにする感覚があります。
対してチェンバロでソロ演奏をするときは、言葉通り精神統一した状態のほうがうまく弾けるようです。
子供のころのピアノの発表会でもそうやっていたのかどうか・・・ただしいつも、歌はピアノの本番より緊張すると思っていたので、子供のころ、うまいこと自分の世界に入って演奏していたから、あまり緊張しなかったのかも知れませんね。
ただチェンバロは歌やソロ楽器の伴奏をになったり、古楽アンサンブルの一員になる機会がたくさんありますから、そういう環境では音楽に没頭するような演奏ではなく、ほかの演奏者と呼吸をあわせて表現していくことになるでしょう。
管理人はまだ、歌や楽器の伴奏での本番を経験していないので、また体験して学んだら掘り下げてみたいです。
チェンバロの本番がある日はピアノにふれてはいけない
「本気でチェンバロ奏者を目指すなら、ピアノにふれてはいけない」と言われますが、学生には難しいです。
- 自宅にチェンバロがある
- ピアノを教える仕事をしない
- ラウンジなどでピアノを弾くバイトをしない
少なくとも上記の条件を満たさなければなりません。
でもチェンバロの試験や本番があるときは、朝からピアノにふれてはいけません。
1日ぐらいなら守ることは簡単です。
1回目の発表会の前、あいているチェンバロがなかったので、音楽院の教室にあるスタインウェイのグランドピアノで完璧に弾けるように仕上げて行ったら、本番、ものすごくチェンバロの鍵盤が軽く感じて、指が上滑りするように感じて冷や汗びっしょりになりました。
怖いなー自分バカだなーと思いましたよ・・・
友達が「でもチェンバロの本番前にピアノにさわっちゃいけないって、試験の前に分かって良かったよね!」と言ってくれましたが、まったくその通りです。
一方、ピアノの発表会に出ていた子供のころ気を付けていたのに忘れていたこともあって「チェンバロを弾く前は身体は冷やさない、できるだけ指先をあたためておく」のが必須でした。
5月2週目から北東イタリアは異常気象並みに寒いのですが、暖房は基本的に4月末で消されます(しかしビエンナーレの会場になっている3階部分だけ暖房がついていた・・・)。
5月に入ったら普通は寒くないのですが、暖房が消えたせいで1年で一番寒いんじゃないかというほど、各教室が冷えています。
特に指先は冷やさないように気を付けなければなりません。
声楽の場合は、あたたかいほうが血行がよくなって声が出やすいですが、それでも歌うと自動的に体があたたまってくるので、本番前に指先をあたためていたことなど忘れていましたよ・・・。
むすび
新しいことを経験すると色々と学べますね!
先日参加したオペラ公演といい、経験しなければ見えてこないことがたくさんあります。
これだから人生はおもしろいんだよなあと思いました!
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